私は家内がテレビの宝くじのコマーシャルを観て、「宝くじに当たって7億円でも入れば何でもできるのに」という度にこう言う。
「俺は(大学)院時代に100万円さえあったら、人生は変わっとった。お金の価値など単に額やない。」
「そうね、私と結婚せずに済んだもんね」
と必ず言われるので、
「いや、100万円無かったから、お前と結婚できたんやから、無かって良かったんや」
と、いつも繕って誤魔化すのが定番だ。
よくよく考えたから、当時お金が無かったから、私を支えてくれた人と手作りの暮らしをすることができた。
それが破綻したのは、金が無かったからでは無く、夢と希望を自分で消し去ってしまったからだ。
ただ、大学時代は特別奨学金の36,000円があったが、大学院時代には貰える可能性があった、60,000円が貰えなかった。
この差は100万円以上の差となって、自分自身を追い詰めていたとことも確かだとも思う。
もし、大学院時代に奨学金が貰えてたら、自分も私を支えてくれた人も精神的に追い詰めなくて済んだかもしれない。
その一方で、あの時の破綻があって、お金以上の本当の価値が少しは分かる。
夢や希望さえ有れば少々の貧しさは感じない。
逆に今のように貯金と年金やバイトで、暮らしに不安が無くても、残された健康寿命の不安を抱えねばならない。
必要なお金は、夢と希望を分かち合える人と支え合って生きていくのに、暮らしにあった額で良い。
支え合って生きてい行ける人を失って、一人ぼっちになってしまったら、何億円あっても全く価値がない。
そういう意味では、夢と希望があっても現実的に食べていけない人と、お金があっても一人ぼっちで孤独な人を結びつけてあげる方法があれば良いのかもしれない。
ということで、本当はあの時に自分に100万円無くても、支え合って生きていく価値をしっかり分かっていれば破綻は無かった。
目の前にあるお金に換えられない価値を、当時は認識、理解できなかっただけなのだ。
夢と希望を恋愛に結びつけることができるのが、若さの特権だった。
日々の安寧を愛情に結びつけることができるのが、歳を重ねた者の特権でもある。
しかし、そのかけがえのない「若さの特権」の行き場を失った理由を、家内には100万円で誤魔化して取り繕うしかないのが今の私でもある。
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