私は57歳にして高校教諭の職を辞した。
本当は55歳の免許更新時に退職しようと思ったのだが、事務長から強く引き留められたこともあって、退職を諦めその後定時制に変わった。
定時制も同じように多忙を極め糖尿病も悪化したので、たった1年で早期退職した。
その後、色んなアルバイトや臨時の仕事をしたが、結局常勤や非常勤のの高校教師に戻ってしまっていた。
昨年は賃労働は一切しなかったのだが、今年は家内に申し訳なくて非常勤講師を引き受けた。
昨年度からの新課程では定期考査や成績処理が煩雑になり多忙で、随分と過酷だった。
私は昨年勤務していないので全くその認識がなく、頼んできた校長が元同僚だったので、気安く安請け合いしたのが運の尽きだった。
何度も辞めたいと思ったが、何とか1学期は切り抜けた。
それでも、夏休みのお陰で、ここ10年ほども果たせなかった、糖尿病の改善が果たせたのだ。
これは、早期退職して、農作業にも力を注ぐことができ、もち麦を自分で栽培して食べることができたお陰だと思う。
もし、去年賃労働をしていたら、そこまで出来ていなかっただろうと思う。
だから、来年は年金も満額出るので、農作業と研究中心の生活に戻したいと思っている。
そんな中で、血糖値が異常に高いのに、激務に健康を顧みられない現役教師を見かけている。
かつて、60歳前の現役で亡くなった人は、真面目で責任感の強い人が殆どだった。
私は自律神経失調症になって、仕事を続けるのが辛く病院に通いながら休みがちになった時期がある、その時も責任が重く多忙を極めていた。
先日も他校で一緒に仕事をした女性教師が精神的に病んで長期の病欠に入った。
彼女は学生時代少林寺拳法をしていたような闊達な人で、一緒だった職場でもその快活な仕事ぶりに感心させられていた。
その彼女は以前勤めていた学校に戻ってきて、その変貌に失望していた。
責任を背負わなくてはならない教師が追い詰められていくのを見ると、当時の自分と重なってしまう。
15年ほど前は教師志望が多くて、生徒を教育学部に入れるのが困難な時代があった。
その当時高校生だった娘は教員にはなろうとはしなかったので、自分も薦めなかった。
今の現場をみるとつくづく、教師を薦めずに良かったと思う。
ある早期退職した非常勤講師から聞いたのだが、その娘さんはが父親と同じように教師になったが、娘さん自身いつも帰宅が遅く、仲間の新任教師が辞めていくという。
教師を追い詰めていく政策(例えば免許更新)がなされ、その政策を担ったのも同じ教師自身で有ることも事実だ。
不登校の生徒や退職や病欠の教師が増えた学校は疲弊しているとしか思えない。
今回の新課程の指導方法は、私どものような非常勤講師には耐えられないように思うし、常勤の教師もまた一つ仕事を大きく増やされたと思う。
途中で辞めたいくらいだが、いったん引き受けた以上は何とか冬を乗り切ってから逃げようと思う。
「逃げるは恥だが役に立つ」は、ハンガリーのことわざ「Szégyen a futás, de hasznos.」[7] の和訳で「恥ずかしい逃げ方だったとしても生き抜くことが大切」の意味(逃げるは恥だが役に立つ - Wikipedia)だそうだ。
沖縄の「命ドゥ 宝」とも通じて、早期退職の私には相応しい言葉のように思える。
問題なのはむしろ逃げ先で、そこでどう生き抜いていくかを考えるのが重要だろう。
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