突然、高等部の3年生のこの時期にMくんが転校することになった。
昨日は9月最後の登校の日であった。
そのMくんの担任の先生が寄せ書用に掛け軸ほどの分厚い布を用意してくれた。
特別支援学校なので、学年の生徒数も多くなく、皆がそれに思い思いの言葉を連ねた。
私も彼には思い出がある。1年生の秋の宿泊学習で、彼は眠れず夜中に歌を歌い続けたからだ。
「海は広いな 大きいな」、何故か秋の高原の宿舎で彼は歌い続けた。
ところが、次の年の宿泊学習は夏に島の宿舎に泊まったが、何も歌わず静かに眠った。
私は彼の「海は広いな 大きいな」の歌がずっと、耳から離れず残っている。
いざ、お別れという時間になって、私の担任している生徒が泣きじゃくった。
彼は中学部から彼と一緒だったのだ。
普段はそれ程関わりがあったわけではないのに、Mくんの去って誰もいなくなった教室に行ってまで泣いた。
友達の転校でこれほど悲しむのだから、卒業式はどうなるのだろうかと心配にもなった。
私たち教師は長年この仕事をやっていると、出会いと別れの繰り返しになってしまうので、こういう感情に無感覚になるのかも知れない。
Mくんのために書かれた寄せ書きは、実は相撲用のまわしの生地を切ったものにされたものだった。
たまたまMくんの担任の先生の実家が、その生地を扱う使う仕事をしていたのだ。
それを聞いた時に私は複雑な気持ちになった。
私は以前、奄美の十五夜で相撲を取った時にまわしを締めたので、股に食い込むまわしのイメージが強いからだ。
相撲に全く縁のない人には、まわしの生地に抵抗はないだろうが、それが壁にぶら下がっていると考えると・・・
まさか、掛け軸に似ているからといって床の間には掛けないだろうが・・・
因みに、私は若い頃痔の手術で一ヶ月入院したのだが、その退院の際に入院している仲間から寄せ書きをした新品のT字帯をもらった(それがこの病院の慣例だった)。
その寄せ書きは戒めを込めて大切に置いているが、引き出しの中にしまったままである。
そのことも複雑な気持ちにさせた。
個人的には複雑な気持ちを覚えるにしろ、手作りの気持ちを大切にしなくてはいけないと自分に言い聞かせている。
それが、この学校の素朴で良いところなのだと。
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