AKBと書くと、AKB48を期待して検索した人が、これを読んで怒るかも知れない。
そして、A=赤穂市 K=上郡町 B=備前市が協力し合って、町を活性化しようというのに、AKBを用いていると知ったら、「ふざけるな」と言われるかもしなれない。
シャレというには、ちょっとおじさんが若者にこびた感じがするが・・・
以前から何故、県を越えて提携いるのか不思議に思っていた。
あまり、古代の赤穂のことに関心がなかったのだが、もともとは吉備国だったという。
ウィキペディアによれば、吉備国の勢力を大和朝廷が分割して播磨国に移したという。
まさしく、このブログのタイトルのしっぽは、偶然にも根拠があったと言うことになる。
というのも、実のところ私は母方の祖父母が備前福浦であり、父方の祖母は現在の上月町(佐用町)であって、血縁的なAKBである(Kは上郡でなく、久崎村)。
父親は赤穂だが、鳥撫はまさしく国境で言葉も、混じっていた。
相生市と赤穂は合併を試みたが実現せず、上郡町とも合併はできなかった。
室町時代では赤松氏が播磨と備前の一部を支配したのだから、その再現もありとは思うが、むしろ、吉備国再建の方がおもしろかも知れない。
赤松にしても、嘉吉の乱で幕府に対峙し、赤穂も討ち入りで幕府にたてついたところからも、体制よりではない。
ただし、大和朝廷に対峙した吉備国を表に出すと、播州赤穂のブランドが消えるので、やはり損かも知れない・・・
実は、母方の福浦は備前市の日生と仲違いして、赤穂に編入したと聞かされていた。
上郡と赤穂も明治時代に騒動があり、あまり仲の良い関係ではなかった。
それでも、私の家系をみたら分かるように、婚姻などを通じた人の交流も盛んで、上郡の近所の人もそういう人が多い。
なんとなく、自分にとって相生や龍野よりも親近感を感じるのは、そういう親戚関係を通してであろう。
昨日の建国記念日に、瀬戸内市の黒井山グリーンパークに出かけた。
そこは以前ほどの賑わいはなかった、むしろ、備前IC近くのショッピングモールが賑やかだった。
また、風評被害で一時は低調だった日生の牡蠣も、かきおこの店には人だかりで驚いた。
五味の市方面からから沢山の車が出てくるのを見ると、大したことが無くて良かったと思う。
このところ牡蠣祭りがあちこちで行われているが、牡蠣を通しての連携も面白そうである。
赤穂も塩だけにこだわらず、かきおこに便乗する手もあると思った。
赤穂は播磨にだけ拘らず、備前にも手を広げることに存在価値があるようにも思う。
文化人類学では両義性とか、境界というものの意義を大きく扱ったが、まさしく赤穂や上郡、日生がそれである。
県境AKBはトリックスターとしてデビューしよう・・・
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