姫路城には数えるほどしか登ったことがない。
高校時代友達と暇つぶしに行った以外は、生徒引率が殆どで、ゆっくり景色を見ることはなかった。
今回も生徒引率ではあったのだが、修復中で城そのものに入ることができず、城よりも景色を見る機会が多くなった。
姫路は毎日仕事で通っていながら、駅周りの中心付近には滅多に行かず、買い物も郊外が多かった。
駅付近は自分が子供の頃に親に連れて行ってもらった頃から始まり、中学校、高校と毎日通った場所である。
駅ビルの屋上は小さな遊園地で夢溢れる場所だったし、何より動物園といえば、姫路城の動物園しか、大学に入るまでは経験なかった。
その駅に大変化が起こっている。
2008年に高架ホームになって以来、どんどん駅周辺の様子が違ってしまった。
駅周辺だけでなく、通学路であった御幸通りや御溝筋などの商店の様子も変わり、特に毎日のように立ち読みで通った本屋の誠心堂が無くなって久しい。
私は赤穂生まれではあるが、中学校高校と通った姫路の方が思い出深いのである。
今回、姫路城の修復工事を見る特設ビルに登って、ゆっくりと景色を見た。
クラブの練習で登らされた男山の階段が思ったより多いのでいまさら驚いた。
逆に一日楽しめた動物園がこんなに狭いのかと思った。
私は通学するときもわざと遠回りして、動物園の傍を通っていったりしたが、クジャクが飛び出てきたり、吠えザルの鳴き声を聞いたり楽しんだ。
因みに、この吠えザルの鳴き声は、同級生のふざけた奇声に使われて、休み時間に廊下に響き渡っていた。
聞くところによると、私の母校にはプールがないが、動物園の動物用のプールを使わせてもらったこともあったという。
姫山公園はよく行く気楽な場所だったが、男山はクラブでしごかれる場所であった。
しかし、私はバンド友達とギターを抱えてここで演奏しながら歌った。
人が滅多に来ないので、下手な歌を聴かれなくて済むからであるし、景色がすばらしかった。
姫路は開発が遅れた町といわれたが、雑然と昔ながらのたたずまいが残っていたのも情緒があった。
今はどんどん観光地としても整備されてきれいになっている。
黒田勘兵衛が大河ドラマに決定されて、もっと観光に力が入るだろう。
ところが、土産物屋を覗いても、あまりこれぞ姫路というのは無い。
確かに姫皮細工のような、姫路独自のものがあるが、もっと工夫して欲しい。
私の一級下に明珍君という後輩がいたが、彼の家は明珍火箸の系統らしい。
あの火箸の風鈴はいい音がするが、値段が庶民には高すぎる。
播磨地方の中心として、播磨地方全体から知恵を絞って特産物を集結させれば魅力が増すだろう。
東京のスカイツリー周辺では江戸の伝統的な特産物を売っている。
この姫路城修復と黒田勘兵衛は播磨地方の起爆剤にもできるのではないかと思う。
そして、赤穂の忠臣蔵も便乗しよう・・・
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