私は学生時代にロックバンドのボーカルをやっていたので、歌うのは得意ではあったが、楽譜で正確に音がとれないのでコーラスは苦手であった。
また、地声を基本とするロックに対して、声を作るコーラスは不自然な感じで好みでは無かった。
ところが、今年から赴任した高校では合唱コンテストが文化祭で行われる。
学年予選で通ればハーモニーホールで歌えるという。
担任としては、是非あの音響効果抜群の舞台で歌ってもらいたいと思った。
この頃は合唱の楽譜やCDもあって、正確に楽譜が読めなくても、音を頼りに真似ができる。
担任としては男性のベースパートくらいは歌えなくではと思って、練習してみると結構面白い。
そこでやっと気づいたのは、地声で歌うと音色が揃わないので、舌を丸めたりして音色を揃えた方がきれいに響くと言うことである。
バンドでは裏声で音色を揃えるが、コーラスは舌を丸めたりして音色を揃える必要があったのだとこの歳になって初めて納得した。
自分は面白くて何度も練習してだいぶ譜面通りに歌えるようになった。
始めの頃は伴奏をする女子生徒から音が外れていることを指摘さえていたが、それもなくなった。
ただ、男性生徒が声を出さないので、女性生徒に対抗するために声を大きく出すと、伴奏者から顰蹙を買ってしまった。
そこで、男性生徒のリーダーに託して、潔く身をひくことにした。
そうすると、結構男性生徒も声が出るようになった。
どうも、私がしゃしゃり出るのが悪かったようだ。
ただ、まだ歌いこなしているという段階で、気持を込めて、他のパートや、個人の声を尊重しながら歌う段階には至っていない。
たぶん、これから磨きを掛けるのが一番難しいのだろう。
私自身、以前は自慢の声量に物を言わせて、シャウトする歌をよく歌った。
Led Zeppelinの「移民の歌」やDeep PurpleのHighway Starなどがそうである。
しかし、相手の心に響く歌唱力という意味では、自分でも乏しいということは分かっていた。
最近になって、一人カラオケや、一人ギターを楽しんでいるが、その時に一番気にしているのは、やはり説得力のある歌い方である。
歌は人柄や人生経験を表現できるし、歌を通じて気持も通じ合うことができる。
今回も同じ職場の職員と急遽ユニットを作って、文化祭で有志で参加することにして練習している。
以前は歌唱力を評価して欲しいという気持で歌うことが殆どだったが、今は歌を通じて身近に感じて欲しいという気持ちが強い。
普段教壇に立って難しいことばかり話している教師だが、歌を通じて世代を超えた共感が得られたらと思っている。
私は正直なところ、歌のコンテストなど、優劣をつけるものは好きでは無い。
クラスの生徒が気持を一つに合わせることができれば、予選を勝ち抜かなくても良いと思っている。
生徒には君たちの歌を是非ハーモニーホールで聴きたいとは言ってはいるけれど、もし叶わなくても、私自身がコーラスの勉強をさせてもらう良い機会になると思っている。
実際、歌を歌うのが大嫌いな生徒もいるわけで、その生徒には苦痛そのものであろう。
そんな歌の苦手な生徒も含めて、どれだけ気持を一つにできるかが大切だとと思う。
好きな者だけが集まるクラブや有志と違い、クラスで行う合唱は、結果よりも過程が大切であることを生徒には分かってもらいたいと思っている。
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