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2014年2月11日火曜日

書き終えた墓碑銘

赤穂の地元紙「赤穂民報」に西畑俊昭氏が、広島大学より博士号の学位を授与された記事が載った。
私は生徒に、先輩であり、この学校の教師でもあった西畑氏の功績を説明し、このように研究分野でも活躍している人を目標にして欲しいと説いた。
そんな矢先、西畑氏の訃報を聞いた。

私は西畑氏とは教師として新任の時からの知り合いで、広山先生の片腕で大先輩であった。
一年程前は、定期検査で病院に行くとよく出会うので、待ち時間の良い話し友達にもなっていた。
これまでの研究を本にまとめ上げていたことは聞いたので、病気を押して無理をしていたのかなと思った。
氏の著作を手に取ると、その長年の積み重ねと、緻密な研究がよく伝わってきた。
64歳という若さなので、これからもっとこの研究を、多くの人に伝えられるはずだった。

ただ、一年前に病院で話していて、一番楽しそうに話してくれたのは、孫の子守のことだった。
通夜の会場でその様子がスクリーンに映し出された時に、よく伝わった。
会場の前に飾られた学位証も立派だったが、家族との写真の方が西畑氏の誇りのように思えた。


赤穂弁丸出しで、形式張らずにざっくばらんに、しかも、鋭い指摘を良くされていた。
腰に手ぬぐいをぶら下げて、スクーターに乗って通勤していた様子を今でも思い出す。
広山尭道氏は塩業史の研究を、「終わった塩業の墓碑銘を書くようなものだ。」と言われていた。
西畑氏は広山氏から受け継いだその仕事を立派になし終えたように思う。




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