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2014年4月4日金曜日

先日の日曜日、姫路に行った。
20年程前に勤めていた学校の友人たちと会う、毎年一度の恒例の同窓会のためである。
昨年まで姫路に勤めていたが、姫路駅を利用するのは、学校行事で出かける時だけで、年に数度だけであった。
姫路駅やその周辺が改築工事でどんどん変わっていくのは、利用する度に分かっていた。
完成した姿を見たのは初めてであった。
なにせ今の職場に移ってから、鉄道を利用したのは約一年ぶりだったからだ。
その完成された駅と駅周辺に、姫路のイメージの変貌を感じた。

私は、幼い頃から親に連れられていく、楽しい場所は姫路だった。
動物園、駅ビル、サラリーマンスタンド、ヤマトヤシキ等々・・・
父親は「バス乗って、電車乗って、姫路行こう」と自作の歌を子供に歌った。
私は中学受験で一人で通い出し、中学校から6年間通った。
駅は、駅そばの臭いの漂う、雑然とした場所だったが、一時間に一本しか無い電車を待つのに長くいる場所だった。
憧れの女性に会えるのもホームであり、同じ席に座る期待のときめきがある場所でもあった。

大学に行ってからは、帰省して乗り換えで降り立つのも姫路駅で、ホームから揖保乃糸のネオンを見て、帰ってきたなと思った。
通勤が自家用車になり、年に数度しか利用する機会が無くなったが、それでも待ち合わせる場所が駅中央だったりしたので、思い出深い
いつしかホームが高架になり、いつもの7番ホームは無くなった。
そして、50年あまりの多くの思い出が詰まった駅やその周辺が消え去った。
城は修復して原型を留めるけれど、駅は便利さと美しさを求めて変貌する。
東京駅のように歴史的な建築価値が無くても、時代に耐える継続性というコンセプトも欲しいと思った。

姫路からの帰りに、家内の車での迎えを待つのに利用した駅は有年駅だった。
連絡が遅くて、長い時間をそこで過ごすことになったので、駅周辺を眺めていた。
この駅の説明文には「明治23年以来の面影を残す駅」とあった。
その駅の前には新しい駅の完成図が掲げられていた。
気がつけば北側に新しいホームができていた。
この駅舎や、歩けば音のする陸橋ともお別れなのである。
ここも時代を変えてしまうのだなと思った。

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