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2014年5月11日日曜日

好きは上手の元

教えてもらう人によって、成績や特技が伸びたり、伸びなかったりする。
特に私は、その傾向が強くて、この歳になってもそれが続いているようだ。
40過ぎて教えてもらった水泳も、コーチを気に入ったので頑張れた。
そのコーチは30代の男性で、人の気持ちを汲むのが上手だった。
小学校の時も、好きな担任の先生の時には成績も伸びたが、嫌な担任の時にはわざと学校を休んで悪かった。
中学校の時には、好きな数学の教師の時には学年で一番の点数を採れたが、高校になって嫌いな教師の時に理系から文系に変わった。
絵も小学校から習いに行った先生も好きで画家になりたいと思ったが、中学校の美術の先生が嫌いで絵は描かなくなった。
教師になった多くの人は、好きな教師に憧れてなっている人も多い。

ということは教師である自分も、生徒から嫌われると教えている科目も嫌われるし、好かれれば好きになってもらえると言うことである。
ただ、好きになってもらう努力をしても、空回りすることもあるし、逆に嫌われたりもする。
自然に振る舞いながら、生徒から好かれるのはなかなか難しい。
ただ、恋愛と違って、年齢はあまり関係ないようだ。
どこの学校へ行っても、年配の先生で生徒から大変慕われている人がいる。
逆に若くて美人なのに、生徒と上手くいかない人もいる。
教師としては、教える人と関係なく勉強やスポーツをがんばって欲しいと思うが、それは言い訳なのかもしれない。
容貌や年齢に関係なく、生徒にとって魅力ある教師を目指さなくてはいけないのだろう。

ある先生は、中学校も行けず、高校も全日制は中退して、通信制を卒業したという。
ただ、全日制の担任の先生がすごく良くて、憧れて頑張り、国立の教育大に見事合格した。
その担任の先生がいたから、教師を目指したという。
不登校の生徒も、関わる教師によって、教師にさえできることを証明している。
残念ながら自分が担任した生徒は教師になっていないので、教師としての魅力に欠けるのかもしれない。
それでも、教えている歴史が好きで、そのコースに進んだ生徒や、今も進もうとしている生徒がいるのは少しは救いである。
ただ、この道はなかなか食っていけないぞと、言い続けてはいる。
何でも良いから自分で学ぼうとする姿勢が少しでも育ってくれたら、私は それだけで嬉しい。




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