残念ながら「芸が身を助ける」ほど、歌は上達しなかった。
でも、ことあるごとに歌によって救われてたなと改めて思う。
今回、若いメンバーとユニットを組んでYouTubeデビューを果たせた。
去年もやはり若い人とメンバーを組んで高校文化祭のステージに立った。
当然聴いている音楽や嗜好も違うわけだが、世代を超えて良いと思える曲なら一緒にやれた。
おかげさまでYouTubeの視聴カウントは、思ったよりも多くてびっくりしている。
おそらく私たちのことを知っている人が、観てくれているのだと思う。
私は幼稚園の頃に音楽教室に通って、オルガンを習ったのだが上手くならなかった。
外に出て遊ぶ方が好きだったので、一日に決められた練習が苦痛で嫌だった。
結局、ピアノまでたどり着かずに、辞めてしまった。
中学校の時にギターに出会い、何とかコードだけは弾けるようになった。
しかし、ボーカルが中心で、ギターは下手なままだった。
高校時代は先輩や同級生、弟などともバンドを組んで文化祭で活躍した。
そして、ヤンリクというラジオ番組の「ミキサー完備スタジオ貸します」にもでた。
浪速のモーツァルト=キダ・タロー先生に歌を褒められたのが、今でも自慢である。
私には、女房役のベースが付いてくれて、どのバンドでもI君とは一緒だった。
残念ながらI君とは別々の大学に入った。
I君はインドにとりつかれて、研究者になってしまった。
大学でも不思議と女房役のベースとN君と出会った。
その彼と軽音学部に所属したこともあったが、クラブの嗜好が合わなくて直ぐに辞めた。
N君とは結局一緒に文化人類学研究会で班を作って、村落調査を始めた。
N君も京都で教師になって、今でもバンドを続けているという。
私も、どこの職場でも、バンド仲間ができた。
でも、職場を転々としているので、ずっと長くつきあいの出来る仲間はいない。
それでも、今回のように、自分の子供と年齢が変わらない仲間と一緒に演奏できる。
将来に大きな希望を持っている人たちと、一緒に演奏していると元気が出る。
かつて、父母は私のバンド活動が、受験勉強の失敗の原因だと避難した。
確かに、高校3年にもなっても続けていたバンド活動は受験の妨げだっただろう。
しかし、大学受験は失敗したけれど、その後の人生においてたくさんの仲間と出会えた。
確かにそれで食ってはいけないのだけれど、心は十分充たされる。
近年、親父バンドが流行っているのは、物や金で充たされない心を救うためだと思う。
平均年齢40歳以上とはいわずに、水泳マスターズのように世代を超えて集えたらと思う。
コンテストやコンサートの機会が少ない私たちにとって、YouTubeが唯一の出演機会になっている。
でも、本当は観客と一緒に演奏を楽しみたい。
それが本当の音楽だと思っている。
0 件のコメント:
コメントを投稿