以前から成田空港から出ていることは知っていて、東京まで夜行バスで行って乗ろうかとプランを立てたりした。
なにせ、出発日時によるが一万円以内で奄美に行ける。
本当に安い時は5000円代である。
それが関空から行けるとなると、費用も時間もぐっと節約できる。
さっそくネットで調べたら、4月5月はほぼ満席だった。
いかに関西の奄美関係者が待ち望んでいたかが、思い知られる。
私は大学生の頃(一九八〇年代前半)奄美諸島の与路島に調査に行く時には船を使っていた。
学生には飛行機を使う金銭的な余裕など無かった。
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震災前の神戸港 |
奄美の名瀬港までは28時間ほどかかり、夕方出て翌日の深夜に到着した。
名瀬の港の近くの徳州屋旅館というところに泊まって、翌朝バスに乗って古仁屋に向かった。
この旅館は文字通り、徳之島出身の人が経営する旅館で、徳之島の人が多く利用していた。
以前は古仁屋までのバス旅は非常に長く、確か途中の住用でトイレ休憩がされるほどだった。
ただ、名瀬では古仁屋帰りのタクシーが待ち構えていてくれたので、それを利用して早く行けた。
本当はそれは業界では、やってはいけないことなのだが、当時は公然と行われていた。
与路島行きの船便の時間によっては、古仁屋で一泊しなくては行けないこともあった。
ということで、与路島まで行くのに、最低3日かかっていたのである。
当時は飛行機を使っても、海が荒れると船が通わないので、一日でたどり着けず。
与路出身者が葬式に間に合わなかったこともあった。
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名瀬港夜景 |
社会人になってからは航空路も用いるようになった。
時間や食事代を考えると、そうフェリーが割安では無くなったからである。
そのかわり船旅の楽しみが無くなってしまった。
2等船席で見知らぬ人と雑魚寝して、夜にはその人達と黒糖焼酎で宴会が始まった。
船が揺れて宴会どころでは無い時もあったが、夏などはデッキで星を眺めながら歌ったりした。
また、調査仲間と展望室に行って、そこにあるジュークボックスをかけながら、調査の想い出を語ったりした。
船旅は退屈なところもあったが、それが一つの調査の一部でもあった。
奄美出身の人とも色々話が出来たからである。
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当時のせとなみ(古仁屋) |
しかし、金と時間の余裕の無い者にとっては、船旅も飛行機旅も困難で奄美は遠い存在になってしまった。
ということで、私は10年ほど奄美には行けてないのである。
大学から大学院にかけて毎年春と夏に出かけていた、奄美は毎年今年こそと思い続ける場所になっていた。
それが今回の格安航空就航で実現可能になってきた。
ただ、気になるのは簡単に奄美に行けるようになるということは、本土との距離が縮まってしまうということである。
10年前に奄美に行って、トンネルのおかげで名瀬から古仁屋まで早く行けるようになっていて驚いた。
自家用車でも簡単に行き来できるようになっていた。
便利になるとそこに留まる意味が無くなってしまう。
どんどん奄美は変わっていくだろうと思う。
それは奄美にとって良いことかも知れないが、いい風に変わっていって欲しいと思う。
兵庫県の竹田城のように、ブームになって昔の良さを失って欲しくない。
へそ曲がりの私は、皆が行きだして観光リゾートになってしまったら、もう行きたいと思わないかも知れない。
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1980年代の与路島 |
知り合いの年賀状では戸数が減ってしまったと書かれてあった。
観光する人もゆっくりと与路島に滞在するつもりで、出かけて欲しいと思っている。
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