3TBを拡張したおかげで、277時間も多く録画できることになった。
そこで年末年始の面白そうな番組を録画しまくった。
その中で、リトルフォレストという映画が一番面白かった。
この映画は五十嵐大介という漫画家の作品を映画化したもので、「夏」、「秋」、「冬」、「春」の四部作になっている。
主演は橋本愛で、「夏」、「秋」は2014年に「冬」「春」は2015年に公開されている。
主演の橋本愛は私は『あまちゃん』でしか知らなかったが、ネットで調べてみると結構いろんな作品で活躍している。
彼女の自然な演技がとても良く、エキストラっぽい地元の人との関わりもそれほど違和感を感じさせなかった。
殆どが料理の説明なのだが、それはそれで私のように田舎に暮らしているものには参考になった。
特に野蒜を使ったスパゲッティーは、この春には早速試してみようと思った。
平凡な日常を描いているので、それほど見せ場は無いのだが、最後の神楽舞は圧巻であった。
学生時代に愛知県の山奥で「花祭」を見た時のことを思い出した。
しかし、車も無く、暖房も薪で行う生活は、私たちのような世代でも無理である。
こういう生活を、若い人に勧めることはまず出来ないだろう。
ただ、こういう生活なら、今仕事を辞めても退職金だけで、20年は暮らせそうに思った。
この映画で描かれた生活をそのまましなくても、似たような生活ならずいぶんと生活費は節約できる。
そして、何よりもエコで健康な生活のように思えた。
こういうGDPを押し上げない、生活の価値とは何だろうと思っていたところ、今日サイエンスゼロの再放送の録画を見た。
昨日(1/7)の「徹底解説!科学の”未解決問題”ダーウィン進化論に異議あり!?」である。
これは生物学者長谷川英祐准教授の「働かないアリ」をテーマにしたものだ。
彼のプロフィールを見ると、大学院が東京都立大学であった。
年齢は二つ下で、しかも学部卒で民間企業を経験しているので、同じ都立でもおそらく私の在籍時とは重なっていないだろう。
と言いつつ、当時の都立大学は理系は文系とは別の場所にあったので、会うことは滅多に無い。
ただ、兵庫教育大学大学院で教わった懇意の生物の先生が都立大学だったので、その人は知っているかも知れない。
アリの話は有名なのでともかく省くとして、彼の言った言葉の中で、「永続性の観点から考えた存在価値」というのが参考になった。
生物界には一見存在価値のなさそうな生物が多くいるが、長い生命の歴史にとっては生態系の中でそれなりの役割を背負っている。
現在では多様性が失われているとよくいられるが、多様性の価値はまさしくこの点にあるのだろう。
このごろ資本主義の終わりを予見する番組が多くなった。
書籍でもずっと取り上げられてきたテーマである。
そんな中で歴史認識も徐々に変わってきているように思える。
戦国時代に世界でも最強に近かった日本の軍事力が、徳川時代の平和によって西洋に劣ってしまった。
西洋は掠奪と殺戮を海外に拡張させ、世界システムを自分のものとした。
そのシステムを支える資本主義と民主主義がいま限界を迎えつつある。
西洋の暴走を許した思想がまさしく「進化論」であったことを考えると、その進化論の見直しこそ今求められているように思う。
養老孟司は「7 都市の二〇世紀」(『20世紀の定義1 20世紀への問い』2000 岩波書店)の中で、文明と都市化の問題を取り上げている。
現代のようなネット社会では、農村までも消費の面では都市化してきているのだが、まだ自然との共存が継続している。
彼は都市を人体であれば「脳」にたとえているのだが、その「脳」も人工知能によって非人間化して空洞化してきている。
こういう暴走する都市、文明に永続性はあるのだろうか?
私はそうは思わない!。
リトルフォレストに留まって、自然との共存を図る生活こそ現代における永続性へのリスク回避だと思えるのである。
「来たれ若者よ、リトルフォレストへ」とは今は言いづらいが、せめて退職後の暮らしに来たれ中高年!
0 件のコメント:
コメントを投稿