我が家のおせち |
子供は結婚してすぐにできなかったが、どちらかの実家で大晦日を過ごしたと思う。
子供が誕生してからは、これまでずっと子供と一緒に元旦を迎えていた。
今回は、息子は仕事の泊まり勤務、娘はアパートの掃除でくたびれて戻ってこなかった。
ただ、うちに来た愚犬クロは二度目の正月を一緒に迎えたので、正確には二人きりではない。
元旦は二人きりでお祝いをした後、クロと一緒に近所の神社へ初詣に出かけた。
私は年末は、滅多にしない庭掃除などに追われて、年賀状を書く余裕が無い。
そこで、申し訳ないと思いながら、来た年賀状も参考に元旦以降に書いてきた。
年賀状が早く届くと、心苦しく読まなければならない。
そうこうするうちに、息子や娘が戻ってきて、昼は皆で私の母親と昼食をとりに出かけた。
この頃は、元旦からやっている飲食店もあって、赤穂の鹿久居荘という海鮮料理の店に行った。
12時半頃に行った時は空いていたが、帰る頃は満員で外で人が待っていた。
その後で、墓参りに出かけたが、父方の墓は鷆和に、母方は高山霊園にある。
高山霊園に墓参りの人が多いのには驚いたが、うっかり帰りに大石神社前を通る道を選び、渋滞したのでUターンして迂回して実家に戻った。
元日は京都と葉山に住む弟家族が、姫路まで来てホテルで一緒に夜を過ごす予定で、弟の迎えに来ていて母を任せた。
夕方からは家内の実家に皆で行った。
ここは義母がまだ、しっかりしているので、たんまりとご馳走をいただいた。
家内の弟夫婦も千葉から戻ってきている。
31日の朝4時半に家を出て、飛行機に乗ってやってきたという。
義弟は跡取り息子なので、律儀に正月は毎年戻って来ている。
話の中で、やはり義母が孫であるうちの娘に結婚を促す話をした。
それに対して、子供の居ない義弟夫婦の嫁がそれとは逆にことを言った。
この夫婦の生活を聞いていると、子供がいないせいもあるが、まさしく週末夫婦なのである。
要するに、土日だけ一緒に食事をしたりして過ごし、平日はまるっきり別々の暮らしだそうだ。
夫婦二人とも仕事を持っているので、忙しく時間も合わないそうだ。
そうであれば、夫婦である必然性はなく、週末だけ会う恋人同士と変わらない。
そういう暮らしをしている義妹だから、結婚を奨めないわけである。
二日、娘は昼前に四国にあるアパートへ戻っていった。
学生時代は地元の友達と会ったりしていたが、職について話が合わなくなって、会うことが無くなったという。
私は職に就いてからの独身時代は殆ど無いし、実家にいたのでよくわからない。
ただ、すぐに戻ってしまう娘に対しては、企業へ嫁にやったのかなと思ったりした。
仕事が楽しくて、週末も仕事をしたり、会社のテニスクラブで過ごすという。
実家に戻って来ても、何もすることが無いのである。
昔なら家事手伝いというところだろうが、それもしなくて良い。
そもそも、結婚しなくても大企業に就職していれば、将来の不安は少ない。
この頃は失業のリスクより、離婚のリスクの方が高いのかも知れない。
と言いながら、娘を大企業に就職させて、過労自殺で亡くした親もいる。
男性なら闇に葬られていたかも知れない過労自殺。
元日に義弟と話をしたが、彼は自殺する方がおかしいと言っていた。
それだけ勤務が厳しいのが当たり前なのである。
私はそういう意味では、女性が社会進出して良かったかと思う。
東大での美人の女性が過労自殺することによって、企業体質が変えられる。
男では黙殺されていたかもしれない。
彼女の死を無駄にしないためにも、日本の職場は変わるべきである。
土日もクラブで忙しい、ブラックな学校としても同じことである。
24で院卒の娘は就職して、里に帰ることが儘ならぬご時世である。
せめて会社が居心地が良いところであって欲しい。
そして、いつでも戻っておいでと言いたいが、村にも家にも仕事がない・・・
やっぱり、良いところへ嫁に行っておくれ・・・
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