昨日(6/10)用があって、相生の文化会館に出かけた。
時間があったので、港の公園にでて眺めていると、どうやらペーロン船の練習らしいのが対岸で見えた。
なかなか始まらないので、来る時に見かけた水産物市場に行ってみた。
相生の港もずいぶん様変わりしていて、昔とはずいぶん違う。
ペーロン城はだいぶ前からあったが、ペーロン会館という展示施設まで出来ている。
海は相変わらず汚れていたが、それでも釣りをする人がいたのでのんびりと眺めていた。そのうち、太鼓の音がし始めてペーロン船が二隻と監視船が一隻海にこぎ出していた。
太鼓の音も最初はゆっくりだが、競技コースでは本番さながらのテンポで鳴り響いた。
ただ、銅鑼は使っておらず、「どんでん じゃん」の「じゃん」がなかった。
私はペーロンの舟漕ぎ競争は殆ど見たことがない。
ペーロンの日は祖母の家に前日から泊まりがけで出かけたりした。
目的は前夜祭の花火と当日のパレードだった。
子供には舟競争には面白みがなかったが、それは大人になってもあまり変わりはなかった。
だから、生徒が出場すると言っても応援に行ったことは無かった。
そう言いながら、実は奄美の与路島でこの舟漕ぎは経験している。
沖縄では「ハーリー」で有名だが、与路では「フナショ」と言った。
当時村落調査の真っ最中で、青年団に入団していた私は、舟漕ぎにかり出された。
桃の木で作った櫂は重く、びしょ濡れになりながら仲間に後れを取らない様に必死でかいた。
練習から脇腹が痛く、手にもまめが出来た。
青年団は壮年団とビール1ケースを賭けて本番に臨んだ。
直線では当然、若い青年団がリードした。
しかし、折り返しで完全にリードをされ、その後は挽回できなかった。
かなりの年配者の多い壮年団にビールを持って行かれてしまった。
力だけでは勝てないのがこの船漕ぎで、力と気持ちが合わないとスピードがでないし、ターンのテクニックも必要だ。
以前、龍野実業高校一年の野外活動でカッター訓練をしたとき、土木科担任だった私はクラスをまとめ切れてなかった。
それで、私のクラスはばらばらの漕ぎになり、女性の多い商業科の舟にも負けてしまった。
力を持て余していた生徒には、心を一つにするということの意味が分からない様だった。
これは体育大会のムカデ競走や綱引きともよく似ている。
これからは、単に競争だけでなくて、海に親しみながら、心を通い合わせる舟漕ぎをやって欲しい。
せっかく施設も整ったので、一般市民やグループも親しめればと思う。
ただ、奄美の海とまでは言わないが、赤穂の海くらい程綺麗な海水であって欲しい。
造船所がある以上、ある程度仕方ないとは思うが・・・
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