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2019年8月26日月曜日

近つ飛鳥博物館へのドライブ2019

昨日(8/25)の朝、急に思い立って、大阪の東河内にある「近つ飛鳥博物館」に行くことにした。
ここは以前から「百舌鳥・古市古墳群と土師氏」というテーマの特物展が開かれていることは知っていた。
電車で行こうとも思ったが、あまりにもアクセスが悪いので、家内とは休みを合わせて車で行くつもりだった。
山陽道や近畿道、南阪奈道を使うので、渋滞のなさそうな時期にとは思っていた。
この日は思った以上に渋滞はなく、渋滞が見られたのは三田のアウトレットに下りる出口付近だけだった。

この行程は、以前に奈良の博物館に行く時に使ったように思う。
山陽道自体、以前は通勤にも使っていたこともあるのだが、今回使うのは数年ぶりだった。
宝塚や吹田のあたりは、新名神ができたおかげで以前のような渋滞がなくて助かった。
順調に自動車道は進んだのだが、ICを下りてから、博物館に辿り着くのが不安だった。
スマホのナビと、博物館の案内板の指示が違っていたりしたからだ。
こんなところに博物館があるのかと思えるような道を通って、辿り着いたときその異様な建物に驚いた。
階段状になった屋根か外壁が、まるでピラミッドのようだ。
古代の古墳をイメージして設計されたのかも知れないが、博物館と知らずに訪れたとしたら、ダムと勘違いしたかも知れない。

既に多くの人が訪れていて、今日の講演会の整理券が配られていた。
講演会のことなど全く念頭になかったのだが、展示を見終わったので、せっかくだから聴くことにした。
会場は既に満杯で、外のモニターを見ることになった。
講演はこの博物館館長舘野和己氏による「古代土師氏とその後」であった。
席に座ってみて驚いたことに、13時半から15時まである。
まだ、食事も摂っていないので、隣の家内はおなかがすいたと言うし、どうしようかと思ったが帰られる雰囲気ではない。
結局しっかりと講演を聞くことになった。
内容は非常に興味深いもので、龍野に関係のある野見宿禰が重要な意味をもっていた。
まさか、埴輪と野見宿禰が関係しているとは、全く不勉強だった。
たつの市に土師という地名があるのも納得できた。

どうしても、帰りの混雑や時間が気になったので、予定の15時には講演は終わっていなかったが席を立った。
急いで、駐車場に行くと、駐車場に入れなかった車が路上に溢れていた。
これほど博物館が人気があるとは、世界遺産畏るべしと思った。
以前から考古学マニアが多いのは知っていたが、今回は歴史であるにも関わらず多くの人が参加していた。
古代には特にご高齢の方が関心があるらしい。
たぶん古代にはロマンを感じるのだろうと思う。
しかし、私は埴輪が作られる前は、生きた奴隷が土中に埋められ立たされて、嘆き苦しみながら死んでいき、動物に食われていたことの方が気になった。
古代はロマンもあるかも知れないが、私には残虐なイメージも感じられるのである。

帰りはコンビニによって軽い食べ物を買って車の中で食べながら帰った。
元来たICへの行き方を間違えて、結局羽曳野ICから自動車道に乗って帰ることになった。
道路も混んでいなくて順調に進み、三木パーキングで休憩を取って家内に運転を代わってもらった。
ところが、姫路あたりから雨が降り出してきて、家の洗濯物が気になったりした。
山陽道は竜野で下りて、ガソリン補給をし、買い物をしてから家に戻った。
洗濯物は息子が取り入れてくれていた。
往復400kmほどの長いドライブになった。
この一日は時間と空間を超えた、古代へのドライブでもあった。
そして、今日は現代の日常に戻るブルーな月曜でもある・・・





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