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2019年12月9日月曜日

プールに戻った海豚

私は1年くらいプールから遠ざかっていた。
ずっと、プールに行きたいという気持ちが起こらなかった。
農作業で忙しかったり、腕が痛かったりと理由はあるが、それは単なる言い訳だった。
プールに行く気が起こらない。
行っても、もうつまらないように思えた。
その間、ずっと散歩で体は動かしてはいたが、どちらかというと気持ちはずっと後ろ向きだった。
今日は久しぶりにプールに行ってみようと思った。
理由は気分転換を少ししたかっただけだった。

子どもが幼い頃に通っていた相生のプールに行った。
もう、30年近くもこのプールで泳いでいる。
ただ、不思議なのだが、プールの駐車場に車を駐めると、これからの泳ぎのモードになる。
過去の想い出よりも、これから自分はどのように泳げるのかということに気持ちが向かうのだ。
そして、プールサイドに立つと、今泳いでいる人たちよりも、もっと良い泳ぎをしたいと思う。
長年の練習で刻み込まれた泳ぐ姿を披露したいと思う。
ところが、いざ泳ぎ始めると、右腕の痛みは強く、すぐに息も上がってしまう。
クイックターンもまともに壁さえ蹴れない。
ちっとも周りに格好良い姿など見せられない。
ただ、以前していたメニューを少しでもこなそうと思うだけである。

不思議に、まともに泳げないと、何とか良い泳ぎをしようと思う。
自分の泳ぎに集中できた。
見渡せば、知っているコーチなどがいて懐かしく思う。
相生のプールの良いところは、見覚えのあるコーチや事務の人が今もいることだ。
中には私が水泳部の顧問をしていた頃に、他校ではあるが現役選手で活躍していたコーチもいる。
上郡にはそういうコーチは誰も残っていない。

このプールは想い出のいっぱい詰まったプールだけれど、感傷的な気持ちにさせられるわけではない。
それは、今でも以前と同じように、一生懸命泳ぐちびっ子がいて、それを見守るお母さんが上のギャラリーのいる雰囲気だからだ。
自分のための練習ではありながら、見られていることを意識する。
実際は、ギャラリーは自分の子どもだけ、コーチは生徒だけを見て、泳いでいる人だけ隣で泳いでいる人を意識して見る。
それでも、自分なりに良い泳ぎをしたいと思って、泳ぎに集中できる。

今日泳いだことで、泳ぐことが、私の心を支えていたことが実感できた。
長い間泳げなかったのは、水泳が心の支えであったことに気がついていなかったからだろう。
自分を失うというのは、こういうことだったのかと改めて気がついた。





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