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2023年10月13日金曜日

サツマイモへの思い入れ

 私の父はサツマイモを非常に大事に育てた。

私の幼かった頃は、稲も作っていたし、小麦も作っていた。

おそらくそれで、家族の主食は賄われていたと思う。

職工で昼間もきつい肉体労働をしていたのに、夏場は早朝や夕方に田畑に出たり、休日は農作業をいつもしていた。

子どもが4人もいたので、米は足らなかったのだろうと思うが、朝は小麦を製粉して貰ってホットケーキ(当時はべた焼きと言った)をみんなで食べた。

田圃は一枚は高校用地に売れ、残った一枚に新しい家を建てたので、畑だけが残った。

父はそこで、一番食糧になるサツマイモ作りに力を注いだ。

家のローンや子どもを大学に入れるのに、出費がかさむのでそれを補うためだったのだろう。

サツマイモは自分で苗を作るほどで、冬場は一つずつ靴下などにいれて、リビングの暖かい場所に置いていた。

また、干し芋にしたり、固くして粉にして食べたりしていた。

私は当時はサツマイモは好きになれなかったが、大学に入って下宿生をしていたときは、芋を送って貰って食糧の足しにした。

安いラーメンばかりで飽きていたので、サツマイモは主食に近い形で食べていた。

父は晩年はサツマイモを掘るのも辛くなったようで、私が掘るのを手伝ってあげることも多かった。

そういうサツマイモだが、自分自身は貧乏学生の時代に嫌というほど食べたので、自分であまり作ろうとは思わなかった。

家内もサツマイモはそれほど好きではなく、弁当のおかず程度に欲しいというだけなので、少しだけ作っていた。

しかし、今年からは食糧自給に向けて、サツマイモの作付けを大幅に増やした。

冬場はもち麦を中心とした麦類とジャガイモ、夏場はタカキビを中心とした雑穀とサツマイモが私の食糧自給戦略である、

そして、今年のサツマイモの出来はまずまずだ。

先日来、収穫した芋はふかして、小腹が空いたときや、酒の当てにして食べている。

かつての奄美や沖縄の人のように主食にはできないが、副食としてこれからもしっかり作り続けようと思う。

それにしても、私はだんだん親父に似てきたようだ。

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