今の私にとってどうしても欠かせない相棒の一人はノートパソコンだ。
それが急に息を引き取ってしまった。
それはエプソンのエンデバーでかれこれ7年ほど付き合いになる。
母親の通院の付き添いの時に必ず持参したことが、一番の思い出となった。
というのも通常、受付をして、診察が終わるのは4時間以上経っていた。
その間、車椅子に乗っている母親のそばでパソコンを使って仕事したり、本を読んだりした。
そうすることによって長い時間待たされても、気が紛れることができたのだ。
年老いた母は「まだか まだか」と言いながら、時々鼻歌を歌ったり、居眠りをしていた。
当時、母親は心臓の具合が6年前くらいから悪くなり、入院したり循環器科に通院していた。
その母も去年、特養に入所してからは、私は付きそう必要がなくなったのだが、1年もたたないうちに亡くなってしまった。
母が亡くなったのが7月で、その3ヶ月後にパソコンも亡くなってしまったのだ。
デスクトップの画面背景には、このところ自分たち夫婦の結婚当時のデジタル化した写真アルバムを使っていて、そこには当時の両親の姿もしっかり残っていた。
私はそれを時々眺めながら、まだずいぶん元気だった50歳代後半の両親の姿を懐かしんでいたのだった。
アルバム自体は別のパソコンでも写せるけれど、壊れたパソコンは母との思い出が残るので処分せずに大事においておこうと思った。
それでも新しいのが必要なので、いろいろ探したがやっぱり同じエンデバーにすることにした。
外観は前のものとほとんど同じだが、ずいぶん操作が軽くなっているし、壊れる前のようなファンの音も殆どしない。
そういえば、壊れる前はそのファンの音が喘ぐように大きくなっていたし、時々突然シャットダウンしてしまっていた。
早めに新しいのと交代させて、仕事を軽くさせてやればよかったのだと後悔している。
これは、亡くなる前の母への気遣いがちゃんとできなかった後悔とも重なってしまう。
大して介護もしてあげてないのに、色々とトラブルのことで煩わしく思っていた当時の自分が情けなく、申し訳なく思う。
心のゆとりは単に仕事が忙しいとかどうかという問題ではなくて、何を優先して考えるかということであると失って改めて思い知らされた。
そして、ずっと今まで優先すべき大切な人や物を失って、後悔をどんどん積み重ねてしまっている自分を自分で哀れに思う。
哀れな私は、せめて今そばにいてくれる家族(愛犬も含む)や兄弟親戚、仲間、相棒であるパソコンや車なども大事にせねばならないと思わずにはいられない。
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