ページビューの合計

2024年3月6日水曜日

バブル時代との違い

 平均株価が史上最高値で、バブル時代の再来かとも言われている。

ニュースなどでは、かつてのバブルを経験した人が、当時の浮かれたバブル時代とは大きく違うことを話している。

バブル時代に、私たち教職公務員は取り残されていた。

給料が安いので、教師のなり手が無くて、ポスターまで作って募集した。

朝礼で校長が知りあいの中に、教師のなり手はいないかと、呼びかけねばならないほどだった。


教師の待遇も改善された頃には、今度はバブルがはじけて、公務員人気となった。

よく憶えているのは、教師の定年退職者が増えるというので、17年前くらいには、教育学部の人気が高くなった。

生徒の中にも教員志望が増えたのだが、教育学部にはなかなか入られなかった。

しかし、教師の給料が上がった分、周りからの風当たりが強くなっていった。

私が採用された頃は、夏休みなどは、大学教員のように自由に研修ができたのが、だんだんと厳しくなっていった。

また、定時制などは、毎日のように研修がとれるので、出勤時間は授業の始まる前で良かったが、今は勤務時間通りである。

全日制でも、時間外にクラブ活動をしている見返りもあって、夏休みなど暇なときは自由に帰宅できた。

特別支援学校は、クラブは盛んでは無かったが、休憩時間がとれないので、その分早帰りしていた。

ところが、それを見張っていて、教育委員会に訴える、活動家が現れたりした。

それで、早帰りも自由にできなくなっていった。


そのうち、だんだんと教員の仕事量が増していき、年齢構成もいびつなことから、負担の偏りも生じてきた。

そして、あのバブル期のように、教員のなり手がいない。

違うのは、当時は給料が相対的に安いので、なり手が無かった。

今はブラックな職業としてなり手が無い。

クラブ指導など長時間労働が給料に見合わないし、仕事内容も煩雑化されて、ストレスも増してきている。

教員の精神的な疾患も増えているという。

働き方改革に取り残されてしまっているのが実情だと思う。


私たちが若い頃から、学級の生徒人数を減らすことが提案されてきた。

生徒あたりの教員の数は少ないわけではない。

要するに、学校での煩雑な事務的な仕事に教師は追いまくられているのだ。

聞くところによると、やっと学年費の会計が外部委託されるそうだ。

私は、生徒会の会計で、年間1000万円も扱ったことがあるが、できるならこれも外部委託した方が良い。

コンピューター関係も、特定の教師に負担が偏るので、学校外に専門職員を雇用して、派遣できるようにすれば良い。


今度のバブルは一部の富裕層が投資で稼いでいると聞く。

若い人も、高所得の非正規の仕事をしながら、投資で稼げれば、ブラックな職業は避けられるだろう。

物作り、人作りを忘れた、日本の未来は、再びバブルがはじけて、永遠に失われていくのかもしれない。

それを変えていくべき筈の、政治家が一番金に狂ってしまい、それで多くの国民も手懐けられているのだから、手の施しようが無い。

危惧するのは、絶望した若者や弱者がテロに走ってしまうことだ。





0 件のコメント:

コメントを投稿