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2024年3月8日金曜日

ただ去りゆく老教師

 「老兵は死なず ただ消え去るのみ」はマッカーサーの退任演説で有名だが、元々はイギリス将校の歌う兵隊歌だったそうだ。

「役割を終えたものは表舞台を去る」という意味だそうだが、私も高校教師としての役割を終えることができた。

3年前、定時制の非常勤講師をしていたときには、教頭から来年の仕事は無いと校長からの伝言を言い渡された。

まだ年金が出ない私は「ああ~ もう定時制にも働く場所が無いのだな」と惨めな気持ちになった。

以前も、県教育委員会に講師登録したが、雇って貰えなかったので、校長の口利きが無いと駄目なんだなと思って講師登録さえしてなかった。


一昨年は、講師登録がデジタル化して簡単になっていたので、ダメ元で登録していた。

すると、元同僚の校長が私の名前を見つけて声をかけてくれた。

最初声をかけてくれたのは、姫路市南西部にある、そこそこ進学実績のある高校だった。

理由は簡単だった。

新課程になって地理の教師が不足し、おまけに地理教諭が産休に入ってしまったからだった。


次に声がかかったのは、宍粟市の山奥にある、一学年一クラスの学校で、生徒の学力にかなり差があり、3つの類型が設置された学校だった。

この学校は、今いる地歴科教師が日本史の受験指導経験が無いから、是非来て指導して欲しいと言うことだった。

仕事について、それは口実であることが直ぐに分かった。

3年生の受験指導は無く、2年生の受験指導と、1年生の公民を持たされたからだ。

知りあいの校長はたった1年で別の高校に転任してしまい、文句の言い様がなかった。

要するに、こちらはあまりにも僻地で、非常勤講師のなり手が見つからなかっただけのようだった。


そして、何よりも私のような老教師に声がかかったのは、新課程の観点別指導法によって、負担が増してしまい、退職教師からのなり手が減ってしまったようだ。

要するに新課程の負担の多さを知らなかった私が、安易に応募したのが間違いだった。

私は、両行併せて3種類もの新課程の試験を作ることになり、1学期の中間試験から音を上げてしまった。

姫路の高校は、入試に使わない文系生徒の地理総合を3クラス担当したが、そのうちの一クラスは私語こそないものの、授業中の態度は酷かった。

宍粟市の高校は、2年生は10人の進学クラスを歴史総合、1年生は全員の公共だった。

生徒の授業中の態度は非常に良く、1年生は反応も良くしていくれて、授業するのは楽しかった。

そして、何よりもこの町は、私が赤穂の尾崎小学校4年の時に担任してくれた先生の出身地で、この町の話も聞かされていた。

私は3年の時には登校拒否になりかけていたが、その先生に替わってからは、ずいぶんと可愛がって貰って元気を取り戻した。

その先生は赤穂に移り住まれたが、先生の生まれ故郷で少しでも恩返しできたことが、自分には感慨深かった。


私は年金が少し出るようになった時点で、途中でも辞めたいと思った。

しかし、途中で辞めるのは無責任に思い、何とか続けることにしたが、次年度の継続は両校とも断った。

姫路の高校の知りあいの校長からは、私を見込んでお願いしたのにと言われたが、いくら見込まれても無理なことは無理だった。


姫路の高校の最後の授業は学年末試験前で、最後の挨拶どころか、試験勉強させた。

職員室では、昼休みに校長・教頭も不在の中で無理矢理挨拶させられた。

宍粟市の高校は2年生は生徒に最後の挨拶できたが、1年生は授業を勘違いしていて挨拶できなかった。

というのも、この高校は普通の授業担当以外に、時給が3分の1程度の支援担当があって、それを授業と勘違いしていた。

だから、1年生は私が来年は来ないことは告げられなかった。

本当は、この1年生だけでも来年度は担当したいくらい、生徒と仲良くなっていた。

職員には挨拶の言葉は用意していたが求められずに、職員室を出るときにお世話になりましたと言っただけだった。


私が辞める理由は、新課程の負担の大きいのが第一だが、それと同じように年齢を考えたことだ。

今日もラジオで著名な方が、80歳で亡くなったと聞いた。

ああ~自分はあと15年したら、同じように死ぬのかなと思った。

この頃、新聞の死亡記事では必ず年齢を見てしまう。

自分の寿命が気になるが、何よりもいつまでしっかりと頭が働くかだ。

私には、し残した研究がある。

それを仕上げなければ、死ぬに死にきれないのだ。

今年度は新課程に振り回されて、あまり研究は進まなかった。

来年度こそ、年金も満額出るので、家内には遠慮無く研究に打ち込めると思った。


確かに高校教師としての表舞台を去るのは淋しいところもある。

しかし、今度はできれば、研究の表舞台に立ちたいと思っている。

老教師は死なず、次のステージに向かうだけだ。

マッカーサーは戦死せずに軍を去ることを誇ったそうだが、私は現役死せずに無事に教壇を去ることを気休めにはできる。

私は、現役死した教師や、退職してまもなく亡くなった教師を幾人も知っている。

また、トラブルを起こして懲戒免職になったり、辞職せざるを得なかった教師も幾人か知っている。

無事に教壇を去ることが簡単そうで、意外と難しかったのだ。

これからの人生は、特に現役で亡くなった方々の英霊に対して、恥ずかしくない生き方と死に方をしなくてはいけないと思っている。



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