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2024年3月16日土曜日

思い出作りの子育て

 以前勤めていた高校で、土日も殆ど野球部の顧問として働いていた同僚から聞いた言葉として、忘れられない言葉がある。

「思い出作りに、やってるだけですよ」

つまり、クラブ指導は大した手当が付くわけでは無い。

むしろ、個人的に持ち出しの方が多くなる場合もある。

だからと言って、強豪チームならいざ知らず、甲子園に出られるわけでも無い。

部員の中には、野球の経験が進路に結びつく者もいるが、そうでない生徒の方がむしろ多いだろう。

教師も生徒も高校時代の思い出作りに、打ち込んでいるだけだという、自虐的な言葉である。

この先生には、お子さんも二人いたが、普段の週末は関わってあげられないと言うことで、正月などのクラブを休める時に泊付きの家族旅行を必ずしていた。

それに関しては我が家よりも、しっかり家族サービスはしていた。

しかし、普段は母子家庭のようなものだと、ぼやいていた。


考えてみれば、子育ても思い出作りだ。

子供に一生懸命に、経済的に支援し、時間もそれなりに割いている。

確かにそれが、子供の自立につながっていくのだから、大切な役割を担っている。

それは、高校のクラブ生徒が成長するのと、さほどかわらないかもしれない。

そして、昔なら親元に残ったり、近くにいて、老後の親の面倒を見るのだ普通だった。

しかし、田舎に住む我々親には、それが殆ど期待できない。

私や家内はたまたま、両親の家の近くに住んでいたので、それなりに関わることができたが、一番両親が期待していた弟夫婦は盆正月にも、殆ど帰ってこなかった。

私とても、東京の大学院で学んでいたのだから、もし、順調にいっていたら、地元には戻ってこなかっただろう。

弟と同じようになっていたかもしれない。


自分の隣の県に住む娘夫婦も、盆正月にさえ帰ってこない。

連絡さえ滅多によこさず、親を気遣っている風でも無い。

こちらは、子供が元気であれば良いと思うが、親子というのはこういうものだったのかと思う。

自分達は何とか、親の老後の世話を少しはできたが、自分の子供に同じことを期待しているわけではない。

今は、施設も整っているし、何とかなりそうだからだ。

そういう意味では、子育ては思い出作りだったのだと、納得してしまう。

思い出としては、本当にかけがえのないもので、人生の中で一番の思い出だとも思う。

子供達の写真や、ビデオは今でもたまに見る。

だから、おひとりさまで気楽で良いと言っている人には、気の毒にさえ思う。

そもそも、私たちの世代までは、子育てをするのが当たり前であり、疑問さえ起こらなかった。

今は、子育ては当たり前ではなくなっているようだ。


同性の結婚が認められるようになれば、ますます、子育ての意味が失せるだろう。

同性の恋人や友人と結婚して、扶養してあげたり、扶養して貰うことも可能になるのだろうか?。

健康保険や年金も、同じように同性の恋人や友人と結婚すれば優遇されるのだろうか?

そうしたら、思い出作りに子育てをして、苦労することなど、裕福な人以外は空しくなるだろう。

野球部の顧問の自虐的な言葉を、子育て夫婦が使うようになるように思えてしまう。






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