我が家ではお茶やコーヒーのみならず、料理に用いる水は殆ど千種から汲んできた水を用いている。きっかけは息子が子どもの頃、アトピーや喘息で飲食物に気を遣っていたことによる。
赤穂にしろ上郡にしろ千種川の水が水道水であるので、水自体は全然問題ないのであるが、消毒に用いられるカルキや、古くなった水道管に問題があるように思えた。
初めの頃は千種スキー場にあるラドン水を給水する施設にまで汲みに上った。冬場はその施設は閉鎖されるので、近くの自然の水がわき出ている場所で汲んだりもした。
容器は看護師をしている親戚の人から貰った透析用の水を入れる10Lのポリ容器が30あまり、他は一般で売っている18Lのポリ容器である。汲んできた水が無くなりそうな頃に、千種まで出かけていくのが恒例である。
自家用車が2002年からはステップワゴンになったが、それ以前はハイラックスのピックアップトラックであったので、その荷台に40近い容器を並べて汲みに行った。
かれこれ20年近くこの水汲みが続いているのである。
費用は現在の平成の大馬鹿門入口の水汲み場では100円で約43Lで、上郡から往復100kmあるので、ガソリン代が1400円かかる。
だいたい、交通費と合計で2500円くらいの費用で、約400Lの水を購入することになる。
この作業工程には三時間の時間が費やされるので、それを夫婦二人の時給計算で考えると高いかも知れないが、だいたい三ヶ月に一度くらいの割合で、千種町まで楽しくドライブすると思えばコストとは思えない。
このところ私は水を運ぶのが仕事で、家内は運転と水を自動給水器から入れる仕事をする。
私には心地良いドライブである。途中の道の駅で買い物したり、以前はよく南光町の「ひまわりの館」で、一緒に行った子ども達と力うどんを食べるのも楽しみだった。
今日は佐用町のコメリに寄って買い物をする用事も兼ねていた。何よりも千種川沿いの自然の移りゆく風景を楽しむことができた。
特に夏場は観光にもなっている南光町のひまわりの風景が良かった。今日は曇ってはいたが、新緑の山々がとても清々しかった。
自宅のある上郡から、千種川沿いの国道373号線を通って千種へ行くのだが、今日は土曜であるにも関わらずダンプの数が非常に多い、千種川の河川改修工事のダンプカーである。地元のダンプのみならず、神戸からのものまである。
それらが狭い国道を行き来しているので、特に交差点では気を遣った。上郡の鞍居川の合流付近は河川工事もかなり進んで見違える広さになっていた。
佐用町を中心とした災害の復旧工事も進んで、久崎では新しい住宅が多く建ち並んでいる。
川幅を広げるための工事や河原や川底の砂を採ったり、ブロックで補強する工事が急ピッチで行われている。折角の清流も茶色く濁っていた。
それは徳久を過ぎたあたりまで続いており、蛍の里と言うには無理があったし、鮎なども棲めそうになかったが、災害対策なので仕方ないことだと、家内と話をした。
途中見た水田では既に田植えを始めているところもある。千種川の上流付近の水田はいつも早いが、このところの気温の低さからは違和感を感じる。
かなり高齢の老夫婦が水を張った田を均しているのだが、その田に這いつくばるような姿が、そこまでしなくてもと思う一方、年老いて尚夫婦で元気に頑張られることに敬意を感じざるを得なかった。
家内と二人で感心し合ったが、こうやって二人で水を汲みに来られるのもいつまでできるか分からないとも思う。10kg以上の重い容器の水を、ちょっと段になって高い位置の給水機から運んだり、自宅の納戸に運ぶのは、そこそこ重労働だからである。
千種町の役場を過ぎて山の麓にある給水場に行くと、土曜日であるにも関わらず誰もいない。私たちのように大量の水を汲む人がいると、かなり待たなくてはならない。
だから以前は代休になった平日や、勤めている高校は定期考査中に休みが取りやすいので、その日に計画して行くことが多かった。
一昨年からは家内が勤めに出た関係で休日しか行くことができない。だから人が多く汲みに来ていないか心配なのである。ところがこのところその心配は杞憂に終わっている。
不景気のせいなのだろうか、水を汲みに来る人はめっきり減っているのである。さっそく車を汲みやすいように傍に留めて外に出てみると、新緑の山であるのに、まるで冬の寒さである。
天気も曇っていて、家内は寒さに備えた服装をしていなかったので、寒風の中非常に寒がった。千種の道の駅の道路端の気温は15℃ほどだったと思うが、体感的には10℃を下回って感じた。少々オーバーだが、先日山で吹雪のために亡くなった人の話題を家内とした。
寒さに震えながら何とか汲み終えそうな頃に、富山ナンバーの軽自動車がやってきて、中から大学生らしい青年が降りてきた。
水を汲むのかと思いきや、物珍しげに給水場を眺めている。おそらく美味しい水の富山の人は、わざわざ水を買うのが珍しいのかも知れない。
それとも地元で水を売る参考にしていたのかも知れない。汲み終わって帰ろうとした頃、別の親子らしき女性二人が水汲みに来たので、車を移動させ恒例の大菩薩の石碑の前の拝殿に拝みに行った。
家内はいつも賽銭は5円で、私は気前よく?50円以上は出している。これも美味しい水を飲ませて貰っている感謝の気持ちである。
途中佐用の町に迂回してコメリに行き、ズッキーニの種や母の日のプレゼントの花を買って帰った。
車中ではラジオを聞くことが多いが、千種町付近では入らなくなるので、音楽を聴く。懐かしいゴスペラーズの「永遠に」が流れると、二十歳で若くして病死した姪を思い出して気持ちが沈まざるを得なかった。
それは彼女の大好きな曲で、葬儀の時もずっと流れていたからである。選んで聴いた訳ではなかったのだが、命日はこの季節であったことを思い出させたくれたのも、何かの縁だと感じた。
自宅に帰って息子にも手伝わせて、水の入った重い容器を階段下の納戸に運ぶ。そこにずっと保存していて、3ヶ月以上置いておいても大丈夫である。
米も30kgの買い置きがあるし、田園地帯の我が家では少々の災害への備えは大丈夫である。千種の水を汲んで健康を守ることと、災害対策は体力か続く限り続けたいと思っている。
自然豊かな千種の山の水は我々住民の宝であり、わざわざ姫路から汲みに来る人もいる。
姫路近辺には他にも何カ所か有料の水汲み場もあるようだが、私はここが一番良い。
あまり宣伝すると人が多くやってきて、水を汲むのに時間がかかるのは困るが、千種の地元の人が管理し維持できるだけの利用が無くては困ることも事実である。
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