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2012年5月26日土曜日

夏をつげるペーロン

今年もペーロンがやってくる。去年は東北大震災のため自粛して無かった。
子どもの頃から私にとってペーロンは、舟漕ぎ競争よりも花火である。今でこそあちこちで花火大会は催しされるが、夜空に大輪を咲かせる花火は、この地方では相生のペーロンしかなかった。
自分の母親が相生育ちであり、小学生の頃までは母方の祖母家族が旭町に住んでいた。
そこにはIHI(石川島播磨重工)の社宅があって、棟続きの長屋のような造りであった(因みに私の父はIHIの修理工であった)。ペーロンではよくその祖母の家に行ったのだが、始めは立ち並ぶ長屋作りの家の中で、祖母の家を探すのが難しくて、間違えて他の人の家に入ってしまったこともあった。
港まで親たちと一緒に花火を見に行くこともあったが、人混みで父親に肩車して貰わないと、仕掛け花火は見えなかった。港まで行かずに祖母の家の二階から眺めることもあった。
幼い自分にこの花火のどーんと腹に響く音と、夜空を彩る光の渦がまるで別世界にいる気持ちにさせた。
泊まりがけで見に行ったときは、翌日のパレードや屋台も楽しかった。ただ、舟漕ぎはあまり見る気にはなれなかった。

ところが、このペーロンの時期は中学高校時代には中間試験の期間に近く、さすがに行くことができない。
相生出身の家内もわざと中間試験をペーロン時期にしていたと怒っていたが、五月の末が中間試験というのは学校の日程上仕方ないのである。
それより、姫路の私学に通っていた私には、義士祭が期末試験中であることの方が悔しかった。近隣の公立校では期末試験は終わっていた。
ただ、このペーロンは年によっては中間考査が終わっていることもあり、高校2年の時には相生の友達に誘われて、地元の会社社長の家に呼ばれたことがある。
IHIの関係者とも関わりのあるその家で、パーティーというのを初めて味わった。
また、バンドを一緒に組んだ先輩の親はIHIの重役で、大きな家に住んでいたが、そこにはバンド仲間や先輩の同級生が集まった。
花火は特別にビルの屋上から見ることもできたし、花火の後は歌って騒いで大騒ぎをした。

私は勉強をするために私学に行ったのに、音楽と遊びに目覚めてしまい。
高校3年という受験生にとって大切な年に、こともあろうに当時付き合っていた年上の彼女と試験中であるのにも関わらず、花火を見に行ったことがある。
悪いことは出来ないもので、私を見かけた近所の人に、母親に告げ口されてしまった。私は当然、友達の家に勉強しに行くと言っていたのだが、見事にばれてしまった。
ただ、理解があったのか諦めていたのか、叱られはしなかった。勉強には口うるさい母親だったので、不思議に思えた。18歳のほろ苦くて忘れられないペーロンである。

大学に入ってからしばらくはペーロンとは縁がなかったが、結婚して家内が相生であったことから、家内の実家に呼ばれて花火を見に行くことが多くなった。
家内の家は駅近くなので、家からは見えない。歩いて港まで行って見ることが多かった。
近隣から大勢の人が集まってくるので、車は大渋滞だし、歩く暴走族までやってきて喧噪な雰囲気の中、昔より派手になった花火を堪能した。
一度、子どもを連れて行って、途中で雨に降られて困ったこともあったが、家内の親戚なども訪れて賑やかで楽しい夜であった。

このペーロンが白龍の中国語読みであることは、若い頃は知らなかったし、この祭りが長崎の造船所の職人がもたらしたものであることも、ニュースなのでは報道されていたが、あまり関心はなかった。
ところが、学生時代、私は奄美諸島の与路島と言うところに研究で訪れるようになり、このペーロンと同じ舟漕ぎを経験することになった。
その島ではフナショというが、沖縄のハーリーと同じである。ペーロンのような舟漕ぎ競争は東南アジアを中心に広く行われていて、近年世界大会も開かれていた。
海の神や稲作との関わりがあると思われるが、琉球諸島の舟漕ぎ競争は地域や村で行われる大きな祭りである。
与路島では青年団の舟に乗って、桃の木で作った手製の櫂を握らされて、練習から本番まで付き合った。壮年団とビール1ケースのかかった本番では、直線では青年団が速いのだが、折り返しで技術の差がでて、破れてしまった。
ずぶ濡れになるし、横腹は痛くなるし大変な競技だったが、美しい珊瑚礁の浜で、貴重な体験をさせて貰った。

本来のペーロンは花火ではなくて、舟漕ぎ競争が主なのだが、私の記憶には花火とパレードしかない。相生市民にはチームを作って参加する舟漕ぎ競争の方が大切なのだろう。
本来は海の神への安全祈願のあった祭りは、みんなの娯楽になったが、世代を超えて続けていく行事に根付いたことは良いことだと思う。
一企業がもたらした外来文化ではあるが、遠く琉球諸島や東南アジアと連なっていることもイメージして、祭りを継承して欲しいと思う。

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