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2013年11月4日月曜日

町医者

先週は学校で球技大会があり、生徒が足りなくて代わりに卓球に出る羽目になった。
数日前から、水泳で痛めていた左肩が痛かったので、代わりを若い人に頼んだが、引き受けてもらえない。
仕方ないので、負けることを 前提に出ることにした。
ところが、他のメンバーが強かったので、ベスト4になって準決勝、私の試合で勝敗が決まることになった。
そうなると簡単に負けるわけにはいかない。つい力が入ってしまった。
試合は負けたが、3位という賞状をつかんだ。
クラスも男子がバレーで1位だったので、総合3位になった。
これまで一度も賞状を獲れないクラスだったので、担任としては嬉しかった。

しかし、翌日左肩や腕が痛くて動かせない。
おまけに車はミッション、脂汗をかきながら職場に着いた。
そして、やむを得ず医院に行くことにした。
痛み止めの注射と飲み薬で、翌日の夕方にはだいぶ楽になった。

ところが、模試で出勤した土曜の朝から今度は腹痛で、弁当も食べられない。
夕方にはいったん収まったが、よく日曜は痛いし下痢はするしで、病院に行くことにした。
そこで、点滴を受けながら、昔のことを思い出した。

私は幼い頃は体が弱く、しょっちゅう医者にかかっていた。
加里屋の池田医院がかかりつけで、母親は正月にも診てもらったと言っていた。
私も院内の風景や、臭いは今でも覚えていて、それを思い出した。
コップの水にクチバシをつける振り子鳥人形は、待ち時間の退屈さを紛らせてくれた。
やはり、下痢の症状がひどいときに診てもらって、血管注射がうまく入らず、やっと5回目に入った時の痛さを覚えている。

母親は住んでいる尾崎ではなくて、遠い加里屋の医院まで連れて行ってくれたのは、池田先生を信頼していたからだと思う。
当時はバスを使ったが、弟も調子が悪いと、母親は乳母車に二人乗せて通った 。
大きな幼稚園児だから、今から思えば恥ずかしいが、タクシーを使える余裕はなかった。
車で家内に病院に連れて行ってもらえるので、今は本当に楽である。
ただ、この一週間で1万円も医療費にかかってしまった。
当時、物価は違うにしろ、これだけの医療費は大変だったろう。
便利さはお金と引き替えらしい。


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