赤穂でデーション祭りがあるというので、授業で方言についてとりあげた。
赤穂以外の生徒も少なからずいるで、意味を言うことから始めた。
「でー」は「どない」と同じ意味で、「でーなんね」とか「でーしょんならいぇ」とかも使う。
以前は二人称は「おまはん」とか「われ」、西の地区では「おんし」「おんしゃ」。
一人称は男は「わい」とかを使った。
生徒にゲームなどの仲間に入れてもらう時は、何というかと聞くと「入れて」であった。
私は「よしてっけ」を使ったので、姫路の中学校で笑われた話をした。
標準語では無い言葉も紹介して、「ごねる(死ぬ)」「めげる(壊れる)」、「ずつない(腹一杯でしんどい)」「いっこうぇ(行きましょう)」などなど
小学生の頃は、柄が悪いと言われて、方言を授業中に使うと怒られた話をした。
結局、いくら叱られても無くならなかった方言だが、テレビの影響で無くなったとも話した。
私がショックだったのは、生徒から「おじいさんが使う」と言われたことだ。
そうか、私が使っていた(る)言葉は、もう既に生徒らにとっては、おじいさんの言葉だと言うことを認識した。
ついさっきも、近所の人が携帯電話で「おまはん」(上郡でも使う)という言葉を使っているのを聞いた。
若い世代には、そういうのも年寄りの会話として聞かれていると言うことである。
自分が小さい頃、お年寄りが「ほうだはーん(そうなんです)」とか、「おせになって(成長して)」とかの言葉に世代の違いを感じた。
もし、生徒と話をする時に標準語を用わなければ、れっきとした私はおじいさんなのである。
しかし、私は兄弟などと話をする以外は殆ど方言は用いない。
職場でも赤穂出身と分かっていても、用いることは無い。
家内は広島弁混じりの相生弁や標準語なので、夫婦の会話は混乱状態である。
方言が忘れ去られるのは時間の問題だと思うし、自分自身もつかえなくなっている。
生徒たちは播州弁のイントネーションで関西弁や、標準語を話す。
生徒は出かけた先で関西弁だと思って話したら、おかしいと言われたという。
生徒自身イントネーションの違いを、理解していないのである。
いずれそのイントネーションも標準語化するだろう。
地域の特性を活かそうとか、個性を持とうとか言いながら、どんどん均質化が進んでいる。
書き言葉ではない方言は、話す機会や発信する機関が無いと失われる運命にある。
以前、名古屋の祭りで子供が神輿を引きながら、「元気を出して、わっしょい」というのを聞いて違和感を感じた。
しかし、もう近所の子供会でも「わっしょい」を普通に使っている。
因みに私の知っている神輿(屋台)のかけ声は
「おうー おうー まかせ あら えいいやー まかせーっせ」
「えいこらさ あーよいやさのせ こらさ あー よいやさのせ」である。
実はデーション祭りは、行ったことが無い。
生徒に行くのかと聞かれて、「デーッション祭りの日は、たいがい玉葱を植えている」と言って笑われた。
今年は雨が降ったので、祭りが出来たかも知らないし、当然玉葱も植えられなかった。
新しい踊りの祭りに方言を冠するのも、面白そうと思いながら、つい行けていない。
近所の人の中には「エイサー」踊りを頑張って。祭りに参加する人もいる。
新しい時代は地域を越えて魅力あるものを、それなりに地域性を出して表現するのが良いのだろうと思う。
そんな中で、「デーション」という方言は、赤穂を特徴付ける象徴的な言葉になっているのだろう。
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