我が家が赤穂を離れた大きな理由として、上の息子の小児ぜんそくがある。
結婚当時、私ども夫婦は、親戚を頼って赤穂市内の大津に居を構えた。
そこは農村地帯ではあったが、そばに山陽自動車道があり、騒音と排気ガスが酷かった。
赤穂市の南部は当時から西が工業地帯、東が住宅地になっている。
当時赤穂市は小児ぜんそくに関しては、治療費が無料になっていた。
私は子供が幼稚園に上がる前に、家を建てようと思った。
その時に、農業もやりたいことと子供の健康を考えて、農村部に移ろうと思った。
市内に拘って、高雄地区や有年地区を探したが、良いのが見つからなかった。
結局、上郡の今の中野に家を建てることになった。
子供のぜんそくは、直ぐには良くならなかった。
特に、この寒くなる季節には発作を起こして、心配させられた。
ぜんそくだけ出なくて、アトピーも酷かったので、飲み水にも拘った。
赤穂に住んでいた頃から、千種に水を汲みに行ったのもそのせいである。
子供の小児ぜんそくは成長するに従って無くなった。
アトピーは続いているが、自己管理によって改善するようになりつつある。
実は、今日たまたま赤穂市の人権の集いがあって、その時に招聘された講師さんが
「赤穂は工場が多いのが、インターチェンジを降りたら、その中を通ってくるとよく分かる」
という意味のことを言われた。
この方は、たつの市の人なので、そう感じるのだろう。
あまり気がつかなかったが、ずいぶんと工場は増えたなと思う。
私が小学生の頃に学校から見学に行ったのは、住友セメントと東洋紡績。
そして東浜塩田もまだ操業していて、その塩の生産工場も見学した。
それから、ずいぶんと工場が増えたと思う。
何よりも、関西電力の煙突がひときわ目立つ。
工場のおかげで、市の財政は潤い、職場も確保できていることは分かっている。
現在では、工場も環境に気を配っていることも承知している。
その陰で、ぜんそくやじん肺になった人もいることも確かなのである。
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