今私は相生市で働いている。
私は相生とは関わりは多かったのだが、住んだことも働いたことも無かった。
相生は母親が子供の頃育った町である。
そして、父親も船乗りをやめてから、ずっと相生の造船所や発電所で働いていた。
また、家内も相生生まれの相生育ちである。
私自身は、小さい頃から、相生に住んでいた母方の祖母の家に、よく泊まりがけで遊びに行った。
子供の頃は相生には電車で行くしかなく、赤穂線ではトンネルを3つも越える遠い別世界に思えた。
祖母が住んでいた会社分譲長屋は、皆同じように家が並んでいるので、時々間違えた家に入っていったこともあった。
それでも直ぐ近くに商店街があって、当時住んでいた赤穂尾崎からすると都会に思えた。
何より楽しみだったのはペーロン祭りで、家族みんなが泊まりがけで楽しんだ。
中学校から姫路に電車通学した関係で、通学の相生駅は途中の駅になった。
塾も相生の塾に通っていたが、半年もしない内にやめてしまった。
ただ、その塾の先生は強烈な個性の方で、色々と刺激を受けた。
特に、霊体験の話は後々まで私の脳裏に染みついて離れなかった。
相生には中学高校と友達や仲良くしてもらった先輩がいた。
とにかくIHI関連の町で、先輩のお父さんも後で、工場長さんだったと知った。
一度だけ、IHI関連の人たちが集うホームパーティーに友達と招かれて、ハイソサエティな別世界を体験した。
私はその後、IHIと関係はしなかったが、その場にいなかった弟は、大学卒業後にIHIへ入社したのだから縁はある。
祖母の家族は赤穂に引っ越ししてきたので、大学進学後は殆ど相生とは縁は無かった。
ところが、赤穂に戻って教員をし、相生に関係する家内と結婚して、再び相生とは関わりが深くなった。
家内の両親は広島出身なので、家内は広島弁の混じった相生弁を話す。
つまり、住んでいるところは相生でも、家の中は広島であった。
だから、家内の実家に行っても、子供の頃の祖母の家とはまるっきり雰囲気は違っていた。
といいつつ、祖母は赤穂の福浦出身だったので、純粋の相生とは言えなかった。
相生はIHIの企業城下町で、いろんな地方から人が集まってきていたので、当然と言えば当然だった。
今勤めている職場では、職員で相生出身者は誰もいない。
他の職場では、相生生まれの相生育ちの人とは関わりはあった。
相生生まれの相生育ちで相生と関係している知人は、中学高校の同級生で相生で歯医者をしているS君だけだ。
ただし、S君は相生に住居を構えていなくて、実家の近くに歯科医院を開業した。
彼以外の相生の同級生は、教師や役場勤めで相生に暮らしている者もいるが、職場は相生ではない。
こういう自分も赤穂に生まれながら、上郡に住んで、今は相生で仕事をしているわけだ。
いっそ姫路のように、赤穂、相生、上郡が合併しても良かったはずなのだが、結局、何の思惑があってか一つにならなかった。
この2市1町は互いに深い関わりを、住民自体がもちながら一つになれない地域である。
中世に栄えた上郡、近世に栄えた赤穂、近代に栄えた相生の歴史のなせる業なのかも知れない。
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