また、うちの村の組(小字)で、66歳の単身男性が孤独死した。
5年も経たないうちに、同じ組から二人目である。
この方とはつい先日、村の総会で近くに座っていたので、色々と話をしたばかりであった。
亡くなったのが分かってから、検死もあった後、身内だけの葬式もひっそりとしたらしく、回覧板で報せが届いたのは、一週間近く経っていた。
村には男性の単身者が何人かいる。
女性の単身者は少ないが、ひとりは高齢者で、娘夫婦が毎日のように様子を見に来てくれている。
男性の単身者は、それほど高齢ではないが、遠い親戚はいるが、身内も近くにいなくて、亡くなっても分からない不安がこれからもある。
私がこの村に引っ越してきた当時は、葬式といったら、通夜から準備して、当日も同じ組なら朝から夫婦で手伝いに出て、骨揚げ後の読経まで手伝った。
隣の組でも組全員でお別れの読経を通夜にしにいった。
このごろは、葬儀屋で近い親戚だけで済ませてしまうことが多く、葬式に関わることが殆ど無く親しい人でもお別れができなくなった。
だから、せめて個人的にお別れをさせてほしいと、要望が出ているほどである。
かつては、村八分(村の制裁)になっても、葬式だけは関わった村人も、その葬式でさえ関わりが無くなってしまった。
ちなみに。このごろは村八分どころか、自ら自治会を脱退したり、最初から入らない人もいる。
葬式は、あまり良い機会では無いけれど、通夜から本葬まで、男性は飲みながら、女性は料理をしながら、色々と近所の人と話をしたものである。
私の赤穂の実家も父が17年前の葬儀では、近所の人が葬儀場での受付や参列してくれて、骨揚げ後も読経してくれた。
ところが、昨年の母の時には葬儀場でさえ、手伝いや読経どころか、近所からは一人の参列者もいなかった。
コロナの影響とはいえ、空き家の増えた地域の関係が崩壊状態にあることを思い知らされた。
私の実家は、決して町外れではなく、近くにスーパーや市民病院、県立高校、海浜公園もある便利なところである。
学生時代に名古屋や東京でアパート暮らしをしていたが、それとあまり替わらなくなっているのかもしれない。
ただ、今日も溝掃除の村仕事に参加したが、公共のサービスが不足している分、自分たちで力を合わせねばならない。
以前は、村祭りや盆、とんどで楽しむ機会も多かったが、それもかなり簡略された。
私がこういう田舎暮らしで心の癒やしとして残っているのは、散歩の時にふれあう自然なのだが、それも除草剤によって、「冬の散歩道」化している。
町でも村でも住みづらい時代になったのかなと思うが、畑仕事で土に触れていることだけは、大きな癒やしになっている。
昨日も、二年放っておいたらっきょを掘って、家内に漬けて貰った。
二人の共同作業だった。
村の多くの人は、そういう田舎ならではの農作業も辞めて、気楽ではあるが孤独な暮らしに陥っているようだ。
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