人間行動生態学では人間の利他的行動を説明するのに、「ただ乗りする行動を組織的に処罰して抑止する」ことの重要性を指摘している。
子育ては自分の遺伝子を残すという意味では、非常に利己的だが、自分の老後を犠牲にする子育てはある意味では利他的だ。
それで子どもから老後の面倒を見て貰わなくていいようにしないと、子育てをしないので年金制度や介護制度が充実していった。
するとその年金や他人の子どもからの福祉介護を当てにするおひとり様が増えてくる。
ここで言う「おひとり様」とは、結婚や子育てをしないで自由に暮らしていこうとする人のことで、望んでもできない人のことを言っているのではない。
おひとり様は自分が払った年金だし、介護も介護保険を掛けているから何が悪いと言うだろう。
一方、かつての終身雇用や年功序列型給与というのも、子育てに対応したものであった。
しかし、その制度も公務員などを除いて、子育てに不利な雇用形態に変化して、子育てをしない方が逆に有利になった。
そういう状態で、子どもそのものの数が不足する事態になったことで、子育てをしない人は、他人の子どもを当てにする利己的なフリーライダーと化した。
発展途上の段階では、子どもが財産であり、場合によって売買できたのだが、子どもからの支援もなく、売買が不可能な先進地域では、子育ては利他的行為に近い。
当然、資産家は子どもに資産を継がせる利己的な目的があるし、利他的な子育てそのものには大きな喜びをもたらしてくれること確かでもある。
ただ、最近は利己的な行為や考えが原因で、離婚や不婚が増えてきている。
そもそも、種の保存にも関わる性行為そのものを嫌う人さえ出てきている。
そういう時代に、惨めな老後への不安を考えると、利己的なおひとり様になった方が結果的には幸せなのだろう。
その上、このフリーライダーを処罰して抑制する社会機能を持ち合わせていない。
扶養手当、扶養控除や子育て支援で子育てするよりも、おひとり様の方が自由で気ままに暮らせる。
むしろ、子育て以外に能力を発揮して、組織に貢献した方が名誉と金と地位を得る。
狩猟採集民の平等な社会は利他的な行為で成り立っていたという。
現代資本主義社会は民主的で平等といいながら、利己的なシステムで成り立つ格差社会だ。
格差をなくそうとした社会主義や共産主義社会は、フリーライダーの対策ができないので、崩壊せざるを得なかった。
結局、資本主義社会も、利己的なおひとり様のフリーライダーの対策ができなくて、将来崩壊する運命にあるだろう。
利己的に成り立っている社会で、残された利他的な行為としての子育てをしなくなれば当然なのだろう。
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