昔から「子はかすがい」と言われ、子どもへの愛情を通して夫婦は仲良く暮らした。
学歴社会が進んで、子どもに教育を受けさせる重要性が増して、夫婦の協力も増してきたように思う。
それは夫婦が仲良く暮らすという意味とは違って、父親は単身赴任をしてでも子どもの学業を優先させたりした。
ある意味これは特殊な夫婦関係と思えるだが、原ひろ子が著した『へヤー・インディアンとその世界』(平凡社)を読むと、似たようなものにも思える。
それによると、
ヘヤー・インディアンの社会には「夫婦が子どもを育て、その子どもが独立してその家庭を離れるまで、一つ屋根の下で暮す」というような時間的持続性はないわけである。彼らの間では夫婦、親子といえども、かりそめの宿を共にしている気持ちで共同生活を営んでいる。
近代日本人:これは長く単身赴任している父親にとって、自宅は「かりそめの宿」に近い。
ヘヤー・インディアン:「男女の同棲は、あくまでも気の合っている間だけつづければいい」という気持ちが流れていることだ。したがって、「偕老同穴の契りを結ぶ」というような考え方はいっさい存在しない。
近代日本人:最近は離婚も増えて、母子家庭、父子家庭も珍しくない・
ヘヤー・インディアン:「乳児は、その子を生んだ母親が育てなければならない」という我われ近代日本人の理念における大前提が、この社会には存在しない。「子どもは、育てられる者が育てればいい」のであって、「それが実の母なら望ましいが、何も実の母に限ることはない」
近代日本人:理念の大前提が崩れてきて、育児放棄や虐待のために養護施設への入所が増えている。
これは生きるのに精一杯であったヘヤー・インディアン(狩猟採集民)とそれほど近代日本人はかわりないということだと思う。
私の知っている人の中には、夫婦の間で子どもができなくて、里子制度を利用して養子として二人も子育てをしている人がいる。
ヘヤー・インディアンは養子制度を老後の問題と絡めて、うまく活用している。
近代日本人には養子に老後を補償して貰えないので、裕福な人しか養子を迎えることはできないだろう。
これは子どもを育てた親にも言えることで、熟年離婚や卒婚もそれを表していると思う。
子どもがいなくても、仲良く夫婦で暮らす生活をしていた方が、老後は安心して暮らせる時代になっているようだ。
場合によっては一人暮らしでも、仲の良い仲間がいる方が安心かもしれない。
その点で言えばヘヤー・インディアンの方が柔軟性に優れているが、ただし古くは常に死を覚悟して生活せねばならなかった。
近代医療に依存させられてきた近代日本人には無理なことだろうが、子どもに依存しない覚悟は必要だろう。
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