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2012年10月21日日曜日

姫路の祭り

私は中学校・高校と姫路に通っていたが、一度も姫路の祭りを見に行ったことがない。
ただし、たまたま一度だけ姫路城内の屋台の繰り出しに出くわしたことがある。
市内から多くの大人屋台が練りだして壮観な眺めであった。
私らが子どもの頃はどこの地域も平日に秋祭りが行われ、地元の学校や仕事は休みか時間短縮が多かった。
地元から離れていたので、学校は当然休みではない。
それでも、飾磨の生徒は平気で学校を休んだり、早退しているのを見てうらやましく思っていた。
これは今も変わらない。先日の15日の朝も姫路バイパス・姫路東ランプに降りる時は車は全く渋滞しなかった。
地元の生徒も祭りと言うことで休んでいる。灘のケンカ祭りである。
教師も地元の人はしっかり年休を取る。そうしないと地元では白い目で見られるらしい。
飾磨だけではなく、網干の魚吹神社の祭りも同じで、学校や仕事を休むのに躊躇いはないようだ。
多くの地区が休日に祭りをするようになったのに、飾磨と網干は従来の暦通りである。
驚くのは祭りの前日と当日、そして翌日の3日休む人もいることだ。
祭りの翌日は後片付けということらしい。

私は特別支援学校に現在勤めているが、普段あまり音楽が得意ではない生徒も祭り太鼓の囃子を打つのがうまい。
しかも、全部の流れを憶えていて、「よーいやさ」以外の囃子声もちゃんとつける。
小さい頃から聞いたり見たりして身体にしみこんでいるのだろう。
学校の音楽の授業が安っぽく思えたりする。
そういえば、私も赤穂尾崎の祭りの「ドン ドン ドデドン」という単調な拍子は身体にしみこんでいる。
私の父親は赤穂鳥撫出身だったので、太鼓より笛の音をよく口ずさんでいた。
灘は時に死者も出るケンカ祭りだから、若干問題も感じるが、祭りは生きる張り合いにもなる。
寂れた田舎で祭りが廃っていくのを経験するにつれうらやましくなる。
赤穂の尾崎でも大津でも練習の太鼓の音が夜に聞こえ出すと、回りの空気が変わったように思えた。
生活に根ざした祭りとその音色は、どんな芸術的な音楽よりも、心を時めかし時間を超えさせてくれる。



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