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2012年10月7日日曜日

薩摩芋の収穫

少し早いと思ったが、ニンニクを植える場所をつくるために掘ってみた。
今年は雨が少なく、学校の農園の薩摩芋は生育があまり良くなかった。
我が家の赤穂の畑では意外にできが良い。砂地という条件が良かったのかも知れない。
今日掘ったのは、ベニアズマのハイブリッドだと勧められて1本50円もしたものだ。
高価な苗は蔓が伸びた際に切って増やしていった。
結局20本買って3倍近く増やしたので、1本あたりは15円程度にはなった。
今回良くできていたのは、ちゃんとマルチを敷いていた所の物で、かなり大きいのもあり、量も多かった。
ハイブリッドと言うから何と何を掛け合わせたのか聞くべきだったが、まるで、教科書に出てくるキャッサバのような感じだった。

農作業はたいてい家内と一緒にするのだが、芋掘りは私が備中鍬で掘って家内が芋づるの始末をなどをした。
隣接したカボチャを植えていた所は、今年は雨が少なくさっぱりで草まみれになってしまった。
隣の畑のお婆さん達も見物にやってきて、「雨が降らんのに、草だけは ようはえる」と言っていた。全く同感である。
切った蔓で増やすのは、なるべく早い時期にせねばならないが、やはり遅くした所はできが悪かった。
私がよく通った奄美では収穫しながら、芋づるを植えていくことを考えると、その気候の違いがよく分かる。
結局、25株ほど掘って、コンテナ1杯半強になった。
曇り空でそれ程暑くはなく、作業ははかどったが、蚊にはまいった。
そして、何よりも大変だったのは、蟻に脛のあたりを何カ所か咬まれて、痛がゆく腫れ上がったことだ。
生のヨモギを揉んですり込んだが、あまり効き目はなかった。
やはり大事なのは、ちゃんとズボンの裾を締めておくことである。
いちよう靴下の中に入れて、地下足袋を履いたのだが、途中で外れていた。

農作業は収穫が多くあると嬉しいが、家内と一緒にやれるのも嬉しい。
私の父親は自分の思うようにしたい方だったので、母親はあまり手を出さなかった。
それでも私らが小学生の頃は、薩摩芋の収穫には必ず家族に手伝わせた。
以前はモグラや鼠が多くいて、その穴を掘り進んで父親と捕まえたことが懐かしい。
私は農作業は家族でやれるから楽しく感じられ、ずっと続けたいと思うのだ。
私の父親は、薩摩芋には執念とも思えるほどの力が入っていて、色んな品種ににもチャレンジしていた。
収穫した芋は家で殆ど食べるのだが、親戚にも配っていた。
父親は弁当にも薩摩芋を持って行くくらいの芋好きだったが、私は下宿していた時に、家から送ってもらった薩摩芋を冬場の主食にしたことがあった。
アパートのガスストーブの上で、アルミ箔に包んで焼いて食べた。
貧しい学生時代に食べ飽きていたのだが、最近はまた美味しく感じるようになった。
今日の夕食に出された2週間前に試し掘りした芋は、油であげただけのものだったが美味しかった。

九州や奄美沖縄では薩摩芋は主食であったり、加工品であったり日常的なものだ。
こちらでは、おかずの意味もあるが、焼き芋などはおやつに近い。
職場でも芋を掘る話をすると、焼き芋を食べたいと若い女性などは暗に要求するほど人気がある。
私は親兄弟や親戚以外には、あまり収穫物をあげられない。
というのは、やはり売っている野菜と比べられるのが怖いというのがある。
プロの作った品物にはかなわない。見栄えや味が違うからである。
薩摩芋も売っているような形の良い芋はあまりとれない。
薩摩芋はコツさえ知っていれば、手間の少なくて収穫の多い優れた作物だ。
今後は自信を持って、職場や近所に配れるほどの物を作りたいと思っている。

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