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2012年10月21日日曜日

鳥撫の祭り

私の本籍は未だに鷆和(天和)である。
鷆和は鳥撫と眞木の村を合わせた地名で、親からは家の先祖が名付けたというが真偽の程は分からない。
私は幼稚園に上がる前まではこの鳥撫で育った。
今でこそ近くに三菱の工場などがあるが、以前は地名通り鳥が撫でていくような自然豊かな所であった。
本家は鳥撫なので親に連れられて、盆や正月は必ず来たし、夏休みには独身の叔母や6歳年上の従姉もいたので長い間預けられたりした。
そういう時には海でカブトガニを捕ったり、山で蝉をとったりしてよく遊んだ。
近所の子どもとも仲良しだったが、幼い頃は従姉の関係から女の子と遊ぶことが多かった。
また、鳥撫の子供会の行事にも参加したりしていた。

鳥撫の荒神社の玉垣の一番目立つ所に祖父の名前がある。
祖父は元御影石を運ぶ船乗りで、一匹狼のような人だった。
祖母が信心深い人だったので、神社の方への寄付はちゃんとしていたのかも知れない。
ただ、祭りそのものには伯父や祖父はあまり関係していなかった。
それでも昔は10月25日は祭りと言うことで呼ばれていった。
鳥撫の祭りは赤穂市 の無形民俗文化財にも指定されていて見所が多い。
尾崎の祭りは鼻高や獅子舞は男舞といって雄壮なのだが、鳥撫は曲芸に近い。
獅子が梯子を使ったり、肩の上に立ったりする。
(そのあたりは新聞社などのネットに写真やYouTubeに映像があるので見て貰いたい。)

尾崎の祭りは鼻高にあこがれるが、鳥撫では子どもは唐子にあこがれた。
幼い頃はオタヤンといって、獅子頭をかぶった人の後ろでお多福の面をかぶり女装した人がふざけるのが恐かった。
囃子の音も笛が中心で、哀愁が感じさせられ、一度聴くと耳から離れない。
曲芸有り、道化有りの楽しめる祭りである。
 
 

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