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2012年10月6日土曜日

尾崎の祭り

尾崎のトーニン(頭人)ヤイイェー ホイホイー
というかけ声は、尾崎の八幡さん(赤穂八幡神社)の祭りでおどけたヤッコが囃す言葉である。
私は元々は尾崎の生まれではなかったのが、3歳頃に家族で引っ越しをして、祭りを経験してきた。
一番思いで深いのは、近所の家が 頭人があたり、父親がそのヤッコ役をやった時である。
今は、地区自治会で 頭人をつとめているが、当時は個人の家が行っていた。
これは塩田地主の名残で、頭人があたると散財しなくてはならなかった。
おそらく浜子(塩田労働者)のご機嫌をとる目的もあったのだろう。

尾崎でトーニンというと肩車を意味するように、頭人の家の縁者の子どもが稚児となり、ヤッコに肩車される。
私は一番前で鉾を肩にしている人が一番えらい人と思っていたが、どうも露払いの意味らしい。
この行列には親戚縁者が正装して並ぶのだが、そのしんがりに昔の衣装箱を担いだヤッコが数人ふざけて回る。
この役を私の父親はしたのだが、顔はおしろいをして、紅や墨で落書きをしている。
このヤッコは酔ってふざけて盛り上げる役である。
八幡神社からノットと言われる分社まで、獅子舞や御輿、屋台、頭人行列が連なるのである。

普段は無骨な父親だったが、酒を飲むとやたら陽気な一面が出る。
父親がふざけている様子を見るのはどうも恥ずかしかった。
祭りが終わって、出されたサイダーを持ってヤッコの格好そのまま家に戻ってきて、大泣きしたのはまだ幼かった三番目の弟である。
顔を落書きしたままで、おそらく喜ばせようとしたのが、却って恐がらせてしまった。
私はそんなヤッコよりも、幼心に獅子舞の鼻高をやりたかったが、祖母は鼻高をすると運が悪いといつも言っていた。
それでも、男の子は小さい頃は皆、その鼻高の舞の真似をして遊んだ。

祭りはもう一つ幼い頃の思い出がある。
この尾崎の祭りには出店が多く出るのだが、ある年には南京鼠を売っていた。
私はその鼠を買って、チュータと名付けて遊んだ。
その鼠は自分の服の懐の中に入れて、動くのを楽しんだりもした。
祭りの後もあって、食事後、不覚にも私は服のままつい眠ってしまった。
親から「チュータは?」と起こされた時には、無残にも私の身体に押しつぶされた亡骸があった。
「チュータ チュータ チュータが死んでもた!」と泣き叫んだが、まさしく後の祭りである。
その後、ことある毎に親からは、 「チュータが死んでもた!」とからかわれた。
今となっては懐かしい思い出である。










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