今年の義士祭は土曜日であった。
私の勤めている高校では、この義士祭「ささえ隊」として協力をしている。
クラブの方も義士祭に関する催しに積極的に参加している。
学校ではまず、赤穂浪士に関わる歴史的な講義がなされる。
今年は「柳沢吉保と赤穂義士」というタイトルだった。
結論から言うと、忠臣蔵に描かれている柳沢吉保の言動は、史実としては全く確かめられないというものだった。
まさしく、忠臣蔵で世に人気を博した祭りにとっては身も蓋もない話である。
実は一二月一四日そのものも、旧暦であったのだから、季節的に言えば一ヶ月ほどずれる。
昔の行事は季節を合わせるために一月遅れにするのだが、義士祭はそうはいかない。
年を越してしまった義士祭は考えられないからである。
それがいつしか「いまから○○年前のこの日に、赤穂浪士は吉良邸に討ち入った」という史実になってしまった。
日本史の研究に携わっている人は、おそらくこの旧暦と新暦のジレンマに苦笑いをしているのだろうと思う。
しかし、暦などは些細なことで、多くの歴史に関するドラマは史実とは異なるわけであり、それを史実と錯覚しておもしろさも増す。
虚構として割り切って描かれてしまうと、歴史物は全く面白みがなくなってしまうのも事実である。
まさしく義士祭はその史実と虚構の狭間の上に成り立っている祭りなのである。
私にとって義士祭は、蛇娘などの「見世物小屋」、アコーディオンで「戦友」を鳴らしながら物乞いをしている「傷痍軍人」というイメージが強い。
親に連れられて見に行った義士祭は行列そのものよりも、そういうものが強烈に印象に残った。
また、大石神社に参拝はするけれど、花岳寺に参拝したことは殆ど無く、赤穂浪士の追慕といういう意味合いはあまりなかった。
ある意味、討ち入りという戦勝記念パレードであったようにも思う。
今日は生徒の引率で、20年ぶりぐらいに義士祭に参加した。
生徒が義士行列や大名行列に参加したり、赤穂踊りなどで活躍しているのを見ると、これまでとは違った祭りに感じる。
年末の非常に寒い気候も吹っ飛ばす賑わいもこの祭りならではである。
残念ながら仕事できているので、楽しめたわけではないが、生徒の活躍が見られただけでも良かったと思った。
生徒も嫌がらずに参加するのは、祭りそのものが楽しいからなのだろうとも思う。
時代劇がテレビや映画から少なくなってきているので、やがてこの祭りも忘れ去られるかもしれない。
ただ、赤穂浪士の魅力は史実よりも物語として、時代に応じて変容させながら人気を得てきていることも事実である。
身も蓋もない史実そのものを生徒に説くよりも、その時代に応じた忠臣蔵・赤穂浪士の描き方を説いた方が面白いかもしれない。
そして、新しく分かった史実もうまく取り入れて、現代に応じた赤穂浪士の物語を創作すれば、生き残れそうだ。
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