コウノトリのさっちゃんは上郡のあちらこちらに出向いては人気者になっているようだ。
今日は朝のジョギングの途中でグライダーのように滑空する姿を見た。
朝日を浴びて、悠然と舞う姿がうらやましく思った。
かつて加藤登紀子が「人は昔々、鳥だったのかもしれないね こんなにも 空が恋しい」と歌った。
私は高い空を飛びたいという訳ではなく、どちらかというと地べたから解放されたい。
夕方散歩していると、近所の奥さんが孫と一緒に見てきたところ出会った。
「コウノトリが 居ると嬉しいな!」と笑顔で話された。
友達と一緒にさっちゃんはじっと田んぼの中で立っている。
近所の人が見物に来ても飛び立って逃げようともしない。
鷺やカラス並の馴染みようである。
散歩から戻ってきて、家内にそのことを話す。
家内は「コウノトリは上郡には赤ん坊を運んでこないね」と知った人と話題にしたという。
そう言えば、今朝届いた町の広報には先月の誕生者数4人となっていた。
転出や亡くなった人が多くて、人口は減り続けている。
一年間に50人くらいしか子供が生まれないとしたら、小学校や中学校はいずれ、まとめて一クラスになってしまう。
自然豊かでコウノトリがやってくる町は、皮肉にも人口がどんどん減っているのである。
ただ、古老に聞けば、もともと私の住んでいる中野という集落には、家はあまりなかったと言うから、元に戻っているとも言える。
昔は多産多死で子供が多く生まれても、多く亡くなったのだから、村々には子供だけは賑やかに居たことは想像できる。
そしたら、昔ならコウノトリはカラスのように追い回されていたかもしれない。
静かになった田んぼにゆったりと過ごすコウノトリを、歳のいった村の人が見物に行く。
村の人はそれで幸せを感じるから「幸(さっ)ちゃん」と名付けた。
昔は子宝に恵まれることが幸せと感じた。
今は、コウノトリが訪れる自然豊かなところに暮らせることを幸せに思う。
さっちゃんはそのお墨付きをこの村に付けてくれた。
さっちゃんが運んでくれたのは、やはり生き物全体の子宝という幸せだった。
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