この5月4日は前任の全日制の吹奏楽部が定期演奏会を開いた。
2日に昨年度まで授業を担当していた吹奏楽部の生徒たちが、わざわざ定時制の職員室に来た。
小さな紙切れの演奏会の案内を手渡され、是非聴きに来て欲しいという。
ちょうど連休の半ばで、あまり気が進まなかったので、「行けたら行く」と答えた。
そうすると、吹奏楽部の活動に熱心な定時制の先生から
「行けたら行くと言って、ほとんど来る人はいない。」といわれ。
苦笑しながら「絶対に行きます。」と答えてしまった。
当日は天気の良い行楽日和だったが、約束通り演奏会に出かけた。
演奏会場の受付には顧問の先生がプログラムを配ってくれていた。
最初は一階の会場に入って知り合いを探した。
定時制の知り合いは別の知人と一緒に来ていたので遠慮した。
全日制の知り合いはご夫婦できていたので、こっそり後ろに座った。
せっかく夫婦水入らずできているので、声をかけるのも無粋と思い直し、二階の席に移った。
二階席は殆ど人はいなくて、写真屋さんと撮影係の顧問の先生と一緒になった。
一階席も以前担任していた生徒に誘われてきた時よりも、お客さんの数は少ないように感じた。
一部の課題曲や自由曲は練習の成果がしっかりと出て、なかなか完成度が高いと思った。
特に和太鼓などの和楽器を取り入れた「斐伊川流るるクシナダ姫の涙」は心に残った。
二部以降はお客さんを楽しませる趣向が色々と取り入れられていた。
新入部員があまり多くないので、少し迫力には欠けてはいたが、楽しませてくれた。
今回私を誘ってくれたTさんの役者のような奮闘ぶりには、頭が下がる思いだった。
また個人としての高い力量をポピュラーな曲で聴かせてくれたのも良かった。
演奏を聴きながら、以前聴いたときと違う感情を覚えた。
自分が授業を担当した生徒の演奏を聴くのは、今年で最後と思ったからだ。
教室で見かける時とは違う演奏姿を、見られることが良かったのである。
これはある意味、我が子の活躍ぶりを見に来た親と似ているのかもしれない。
演奏が終わって帰り際に、かつての教え子から声をかけられたり、かけたりした。
こういう機会は、もう定時制に移ったので無くなるのだと思うと寂しくも感じた。
もし全日制にそのままいたなら、分からなかっただろうと思う。
教え子たちが教室を離れて活躍する姿を見ることの嬉しさ。
これは私たちが教壇を離れてYouTubeで演奏を視てもらっているのと共通する。
知った人の演奏は、その人の気持ちがよく伝わってくるものなのである。
技術的な完成度とは違う人間くさい温もりや人柄と言うべきなのか
音楽にはそんな大切な表現力もあるのだと気がつかされた。
誘ってくれたり、声をかけてくれた教え子たちに感謝したいと思う。
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