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2018年5月10日木曜日

捨てられない衣服

今朝も家内から、「これ捨てるの」と聞かれた。
ずっと着続けているくすんだ青色のトレーナーである。
襟元がすり切れて綻んでいる。
外に着ていくわけにはいかないが、家の中で着ることは問題ない。
家内はまたかと不満げであった。
私はなかなか服を捨てきれない。
家内は「2年着ない服は捨てる」と、どんどん捨てている。

私は職業と趣味の関係で色んな服を持っている。
農作業用の作業着、運動用のジャージやTシャツを中心に、フォーマル、授業用、外出用、普段着、散歩用である。
座敷の奥が服置き場になってあふれかえっているのである。
一年に一度や二度しか着ない服もあるのだから、非効率的である。
学生時代は洋服ダンスも必要ない数だったのを思えば、無駄な生活をしているように思える。
これだけあふれかえっているのに、今日もWORKMANで夏の作業服を買ってしまった。
以前はUNIQLOやアウトレットのSHOTが中心だったが、このところWORKMANの服が殆どである。
それは今の仕事にも、農作業にも活用できるからである。
品ぞろいも良く、機能的で価格も手ごろなのか魅力的でもある。
WORKMANはお客さんは少ないが、職人風の人や、マニアックな登山やスポーツ好きの人が来ていて独特の雰囲気だ。

ブランド品でもない衣服を大量にため込む状態を、何とかしなくてはならないと思っている。
断捨離を実践したいとずっと思い続けている。
ただ、言い訳をすれば、衣服には昔の記憶が詰まっている。
アルバムの写真やパソコンのハードディスクの記録とは違う、生活臭の漂う記憶であり、今も生き続けている。
先日も20年以上前の写真を見た時に、その服が今も残って着続けているのに改めて気がついた。
何せ、スーツは40年前の教育実習で着た物を筆頭に、10年前以上の物ばかりである。
こちらは私の歴史そのものであり、これからの未来と言っても良いかもしれない。
ということで、私にとって衣服は生き続けるモニュメントだと思って今しばらくは我慢して欲しいのだが・・・
ダメか・・・・


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