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2018年8月10日金曜日

少年回帰の葬式

昨日(8/6)は義理の叔父の葬式があった。
最近は父方の親戚とは、やはり名古屋の亡き叔父の法事に顔を合わせる程度である。
私は跡取りなので、亡き父親や、動きがとれない母親の代わりというと言うことで家内と一緒に参加する。
法事には従兄弟は来ないので、従兄弟と会うのは葬式くらいである。
前回の葬式から既に5年以上経ているので、その分風貌も互いに変わっている。
そして、子育ての最中だった従兄弟は既に子供は就職したり、大学に進学したりしている。
私自身も、現役の教師を退職して、アルバイト暮らしの状況でずいぶん状況が変わった。
そして、年老いた伯父や伯母は、名前を言って顔を見せても、もう判別できなくなっている。
叔父伯母の中には元気で、昔と変わらない人もいるが、何より私の母親が入院していて参列できなかった。

従兄弟は自分にとっては特別な存在で、本家の家で盆正月を一緒に過ごした仲でもある。
また、幼かった従兄弟は私が遊園地に連れて行ったりもした者もいる。
本家の従兄弟の姉は、私が夏休みなど本家に預けられていた時に、ずっと遊んでくれたお姉さんである。
また、私は大学には名古屋の叔父を頼っていたので、その従兄弟とも関わりが深かった。
だから、昔のままの関係の延長で、接することができる。
だから未だに「○○ちゃん」と呼んでいる。
そうして親戚の従兄弟との関係は濃密だった関係も、末の弟の頃は疎遠になってきていた。
だから、葬式などで食事になっても、その弟は話をするのも困っている。

とうの今回亡くなった義理の叔父もの孫は、息子の孫と娘の孫がいるのだが、様子を見ていると殆ど会話をしていない。
こちらは従兄弟同士疎遠な関係がよく分かる。
今回の葬式は近所の参列者の無い、親戚だけのものだったが、その親戚さえ疎遠な関係が見て取れるものだった。
そんな中で、昔関わりがあった者同士が旧交を温める場所となっていた。
私自身は、昔の頃の気持ちに戻り、現在自分が置かれている状況も忘れることができた。
幼い頃から、青年期を経て壮年期、そして老齢まで様子を知っている関係。
自分が生まれ育った赤穂を離れている私にとっては、それを知っている数少ない人たちである。
その一人を失った葬式だが、関わりを蘇らせた葬式でもあった。






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