ページビューの合計

2018年8月6日月曜日

鹿児島での夏

去年は早期退職以来仕事に就いていなかったので、10月までは春休み、夏休み、秋休みと続いた。
しかし、今年から仕事について以来、五月の連休も無く、この夏は盆休みさえ無さそうである。
ただ、閑谷学校の指導員を辞めて以来、10日ほど仕事をしていなかったので、長期の休みはそこそこあった。
今はアルバイトという形なので、週休2.5日という感じである。
だから、夏休みが無いのはそう苦にはならないが、人生において夏休みの無い夏は初めてのような気がする。
私は学校生活、教師生活と夏休みはずっとあった。
それなのに、教師になってから夏休みに観光旅行に行ったりしたことは一度も無い。
今から思えば、勿体ないことをしたなと思う。

では、教師になってから仕事以外に夏休みは何をしていたのだろうかと思う。
教師は夏期休暇以外に、普段とるのが難しい年休を夏休みに使うことが多い。
だから、教師によっては海外旅行を毎年のように行う人もいる。
実は、私も観光旅行は無いけれど、研究のために鹿児島や奄美には長期に旅行はしている。
鹿児島では今の民泊に匹敵するようなアパートの一室を借りて一週間滞在して、図書館に通い続けた。
今年は大河ドラマで「西郷どん」が流されているので、多くの人が関心を持っているかも知れない。
私は、文献で鹿児島のことを調べているので、こういうドラマは素直には見られなくて、見ていない。
ただ、奄美の描き方が、今までとは違うということだけは知っている。
鹿児島で文献を調べたのは主に郷中教育だったが、それ以外にも鹿児島は他の県とはかなり違う独自の歴史と文化・社会がある。
かなりむかしの時代劇に「素浪人 月影兵庫」という、旅物があった。
浪人月影兵庫と焼津の半次という旅烏が、各地で悪者と戦う時代劇である。
何年か前に再放送で見て、鹿児島は外国のように描かれていたのは納得がいった。

鹿児島まではその時には車で行ったので、知覧や坊津まで見学に行った。
そこには、鹿児島市とは違う別の顔があった。
どちらも歴史を背負った場所だった。
特攻隊基地を記念した博物館(上の写真)で、日本各地から集まってきた特攻隊委員人物像に触れることができた。
今でも残る郷士の屋敷は江戸時代がそのまま生き続けているようだった。
知覧は、それ以外に茶畑が広がる雄大な景色も、心に刻まれた。
琉球や東南アジアの交易の拠点にもなった坊津(上の写真)は、海の向こうへの世界を感じさせてくれるものがあった。
歴史を感じながら旅するのもなかなか良いものだと思った。
ただ、1000CCのビッツでの旅は、少々過酷でもあった。





0 件のコメント:

コメントを投稿