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2025年1月25日土曜日

「白いページの中に」が生まれた高校

私の大好きな「白いページの中に」を手に入れようとしたが、柴田まゆみが歌っているものは音楽配信サイトではシングルとして売っていない。

他の多くのシンガーがカバーしているのだが、柴田まゆみの方がずっと良いように感じる。

岩崎宏美もカバーしているが、若い頃の録音なのか高音の声が曲の雰囲気と合わないように思える。

柴田まゆみが若い頃の鼻にかかった、ソフトな声が魅力に感じていた。

アルバムとしては、購入できるようなのでこんど手に入れようと思っている。

柴田まゆみが龍野出身であることは、以前にネットで調べてはいた。

改めてWikipediaで調べるとなんと龍野実業高校のフォークソング部にいたと書いてあって驚いた。

実はこの学校に勤務していた頃はそのクラブの顧問もしていたのだ。

彼女は私と同い年だが学年は一つ上で、私が顧問していた頃は音楽活動を再開していた。

ところが、私は全く当時はクラブのOGとは知らなかったし、話題にもならなかったように思う。


この曲は龍野実業高校の卒業記念で創ったのが元になっているというので、高校とも縁が深い。

ただ、歌詞の「長い長い坂道を今登ってゆく 好きだった海のささやきが 今はこころにしみる」から、海の無い龍野ではなく勝手に神戸の街をイメージしていた。

高校のそばを流れる揖保川を海に置き換えて歌ったのかもしれないが、好きだった人を「海」に喩えたというのが自然だろう。

曲は海をイメージがしてしまうので、以前は龍野にはマッチしなかったが、今は「たつの市」として海もあるのだから、「たつの市」のイメージソングにもなる。

ぜひ、たつの市民の人もこの曲に触れて、自分たちの歌にして欲しいと思う。


私は龍野実業高校の勤務では土木科の担任もして、生徒指導上の問題で駆けずり回った想い出が強い。

私は工業系の生徒の授業ばかり担当して、商業系の授業が無かったので、デザイン科は別として授業で女子生徒との関わりは少なかった。

だけど一方で、生徒会の担当もして、文化祭での生徒会での和太鼓演奏や、生徒の体育館での歌や踊りには感動した記憶がしっかり残っている。

また、仲の良い職員とも関わりが深く、忘年会に際しては職員バンドを結成して、練習に励んで演奏した楽しい想い出もある。

ただ、その職員バンドの中心的な建築科のM先生は、他校に移動後に病のために現役で亡くなってしまった。

本当なら柴田まゆみことを知っていそうなM先生に問い合わせることが出来ないのが残念だ。

学校は龍野北高校となって、新宮高校と併合されてずいぶん遠くに行ってしまった。

鶏籠山の麓の旧校舎はそのまま残されて、映画のロケにも使われたりした。


龍野と言えば、三木露風や三木清というような歴史的人物が有名なのだが、今でも多くのシンガーに歌い継がれているこの歌と作者を知っておくことも大切だと思う。

因みに龍野実業高校の校歌の作詞は三木露風だったが、校歌に校名は入っていなかった。


  いつの間にか私は 愛の行方さえも

  見失っていた事に 気付きもしないで

  振り向けば やすらぎがあって 見守る瞳があった事を

  サヨナラの時の中で やっと気付くなんて


この歌詞も、龍野実業高校を卒業する時に創ったということを知れば、すごく身近に感じられる。

私のこれまで抱き続けてきたこの学校のイメージは、どちらかといういと荒んだものだった。

しかし、こういう素晴らしい曲が生まれた学校と知ったことで、そのイメージはかなり違ったものとなった。

校舎が取り壊される前に、知ることが出来て良かったと思う。








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