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2025年3月10日月曜日

前途危うい公立校

 私は現役で大学には入れず、入校試験を受けて神戸御影の大道予備校に通った。

そこには、私学の灘高校や甲陽高校出身の生徒がわんさかいたが、公立の長田高校や姫路西高校などの生徒も少数ながら混じっていた。

そこで、聞いて驚いたのは、公立高校の生徒は学校では勉強していないふりをして、家では必死で勉強していたという。

その理由が当時の私にはよく分からなかったが、教師として公立高校に勤めて理由が分かった。

私たちのような私立高校の生徒は大学からの指定校推薦があっても、早稲田大学や慶応大学などを除いて殆ど使おうとしていなかった。

そして、当然一般推薦などを受ける生徒はいなかった。

ところが、公立は指定校にしろ一般にしろ、推薦入学を利用する生徒が多くいる。

そうなると、校内での選抜や内申書評価が重要となってくるのである。


授業中は勉強する雰囲気をあまり作らずに、競争相手の足を引っ張ったり、油断させておいて、家や塾で必死に勉強すると内申書評価が上がると考えるのかもしれない。

内申書評価は完全な絶対評価では無いので、学校内での順位などが重要となる。

私学の場合などは、逆に相対評価にすると一般入試の内申書評価が公立に比べて悪くなるので、絶対評価的になっていた。

これは高校だけでなく、中学校でも同じなのではないかと思う。

特に、高校入試の内申書の利用率は大学よりも高いはずである。

中学校の生徒が塾に通うのが普通になっているのもそのせいだろうと思う。

教師の側も内申書評価をちらつかせておいた方が、生徒の指導がしやすいように思える。


私がいた私立高校は、授業が面白くないと勝手に自分の勉強したり、おしゃべりをしていた。

推薦入試など利用しないので内申書評価はあまり関係なかったからだ。

私のバンド仲間が塾などに行かず、学年最下位でありながら早稲田大学の法学部に現役合格できたのも、授業中は入試に必要な科目だけ勉強していたことによる。

私学や予備校などは、一般の模擬試験に参加せずに生徒のデーターを独自に持っているところもある。

データーを出さずに一般模試で対応している公立校より有利に受験をすすめるためである。


公立高校でも受験に必要ない科目は、定期考査の点数だけ気にして、授業中は居眠りしたり、別の科目をこっそりやってはいる。

最近目につくのは、タブレットパソコンを持っているので、利用するふりをして別のことをしている例だ。

授業中の学習態度を評価にきっちりつければ良いのだが、授業を進めるのが非常に煩雑になってしまう。

仕方ないので、私はトランプをくじのようにして、突然質問する方法にしたが、一回答えると安心してしまうので、これも効果が薄かった。

定期試験問題を難しくして授業中もしっかり勉強させる手もあるが、複数教師で一つの科目を担当している場合はそれも難しい。

結局、受験科目以外を大して勉強しないのは公立も私学といっしょになってしまう。


近年はAO入試が高く評価されだしたが、これは家庭の経済力が非常に影響されるようだ。

学校でできない体験をするにはそれだけの負担を家庭が負うことになる。

学校でもAO入試に対応できる特色の有る学校は人気が出ているようだ。

私が勤めていた公立の大学附属高校もその例だが、中学入試の定員割合も増えたが、そもそも通学や寮費に多額の費用が必要だ。

本来、公立は貧富に関係なく、進路を努力によって確保するべきところに思うが、現実は私学と変わらなくなってきている。


公立校では塾や予備校に通うのが普通になってきたので、結局のところは私学の高い授業料と負担が同じになる。

どうせ同じなら、進学指導が徹底していて、生徒指導上の問題の少ない私学に人気が移っても仕方ないだろう。

そして授業料が無償化されれば私学の方が公立より却って負担が少なくなる。

一方で、地元に密着した公立中学・高校に弟は通って、地元の友達と卒業後も仲良くしていた。

私と同じように私立中学・高校に行った弟は、地元の小学校の友達といまだに仲が良いのに、高校の同窓生とは関わりもなく、同窓会には全く行ってないようだ。

私も小学校の同窓生と耕作している畑が隣同士なので、畑や病院で会うと長々と話をしてしまう。

地域に根ざした公立の学校は、友達や仲間を作るのに無くてはならないし、地域にとっても奉仕活動などで助けて貰えると思う。

崩壊しつつある地域の中では、公立校は生き残るのが厳しいのかもしれない。





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