しばらく見なかった白と黒が半々の野良猫が子猫二匹を連れて現れた。
去年も二匹産んだと思うが、その子ども達がどうなったかは分からない。
というのも猫は増えていないように思えるからだ。
ひょっとして親猫がいなくなって、子猫が残ったのかも知れない。
子猫が生まれると言うことは、雄猫もいるわけで、同じ柄の猫を何回も見て、増えていないと思っているのかも知れない。
ここらの猫は、冬場は田んぼに捨てられた生ゴミを餌にしている。
夏場は、生ゴミ以外におそらく昆虫などの狩もしている。
というのも、畑の畦で一生懸命にバッタを捕って、食べているのを見かけたからである。
以前勤めていた山の上にあった学校の寮にも、野良猫がいて夜にやってくるカブトムシを餌にしていた。
ここらでは住み処は空き家や納屋などいくらでもあるので、不自由しない。
ところが、野良犬は一匹もいない。
そもそも、最近は雑種らしき犬も減った。
家で飼っている犬は雑種だが、野良犬だった雌犬を拾って飼っていた人から、10年ほど前に生まれた子犬をもらった。
それ以来、近所で雑種の犬から子犬は生まれていない。
ここいらで散歩に連れている犬を見ると、洋犬、柴犬、猟犬ばかりで、雑種は殆どいない。
このごろ、雑種と言えば洋犬をわざと掛け合わせた犬ばかりである。
従来の雑種の犬は野良犬の名残で、絶滅種と言うべきかも知れない。
思い出すのは私が育った赤穂尾崎の路地にいた雑種の犬たちである。
当時は飼い犬を放し飼いにする人もいて、首輪をした犬と無い犬が路地でケンカをしたり、仲良くしているのを見かけるのは普通であった。
子どもにとって、犬は身近な性教育の材料でもあった。
野良犬は多くいたけど、子ども達は走って逃げると追いかけてくることを知っていたので、トラブルはあまりなかったと思う。
それよりも大人しい野良犬はみんなから慕われて、大人でも何とか飼い犬にしようとする人もいたが、それは野良犬の方が嫌がった。
その犬は大きくて貫禄があり、犬同士のケンカを治めたりできる犬だった。
当時は街角に1斗缶の残飯入れがあって、豚を飼っている人が集めに来たりしていた。
それなどは格好の餌になったし、余った生ゴミを与える人もいた。
そういう野良犬を駆除する人がいることは当時から知っていたが、一度も見たことがなかった。
子供心には野良犬よりも、駆除する人の方が怖いように思えた。
そういう野良犬も、車社会になって多くが犠牲となっていった。
路地からは子どもの姿も、野良犬の姿も消えて、野良猫だけが残った。
最後まで車にひかれ続けているのは、野良猫と亀である。
田舎ではそれに、蛇と鹿とイタチ、たまに鳥が加わっている。
子どもの交通事故が減ったのも、子どもが外で遊ばなくなったからである。
自分も車で通勤しているので、車社会を否定する立場には無い。
ただ、車と軽車両と人が住み分けられる道路や街作りをしてこなかった日本社会を見なおすべきだとは言える。
電気自動車やハイブリッドとかいってエコや低燃費を宣伝しているが、自転車や歩きに勝るエコはない。
原発維持やエコ補助金に多額の税金を使わずに、人や自転車道路整備や電車への自転車乗り入れへの補助に税金を使うべきだろう。
いまさら、野良犬を復活させようと言うつもりはない。
だからせめて、野良人を復活させよう。
子ども達の最良の学び場は野良にあると思う。
そういえば、大学時代に友達が「野良の会」という妙なエコグループを作っていた。
彼は下宿の水槽でドジョウを飼って食べるような男で、探検部にも入って国内外の山野を駆け巡っていた。
田舎出身だった彼は、エコを唱えながら大都会名古屋に残って弁当屋さんを開いた。
エコに無関心だった私は田舎に引っ込んで、教師の片手間にエコな百姓をしている。
真逆になった二人の生活は楽ではないし、さほど悪くもないと思う。
ただ、これからはどちらも真剣に生活スタイルを見なおすべきだということは共通していると思う。
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