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2012年8月16日木曜日

神話博しまね

昨日(2012/08/15)、日本一猛暑になった米子を通って、出雲の「神話博しまね」を家内と息子の三人で見に行った。
実は私の専攻した文化人類学には、考古学の領域も含んでおり、特に大学の学科では考古学も行うことを特徴としていた。
基礎的なことは少し学んだが、土器の編年区分とか、とにかく重箱の隅を突くようなことが苦手で、敬遠していた。
神話学に関しても、文化圏説の研究を行う学派と大学は関係が深かったので、本当はもっと学んでおかねばならなかったがあまり興味なかった。
実は神話に関心を持ちだしたのは最近で、日本の古代神話はあまり得意ではない。
ところが近年DNAなどの分析によって、人の移動の研究が進んできたのを知り、それとの関連から考古学や、神話学、言語学にも関心を持たざる得なかった。

家内はどちらかというと、子どもの頃から読んでいた古事記・日本書紀などの神話に親しみがあったようで、めずらしく見に行きたいという。
私は日帰りで気分転換できるドライブをあれこれ考えていたが、出不精の家内が行きたいという所なら無難と思い行くことにした。
自分の研究と関連づけることは、端から考えていなくて、25年ぶりくらいになる出雲大社を久しぶりに見学するのが目的だった。
前回は自分の両親や弟夫婦らと出かけたのだが、米子自動車道もなく、やたら長い山道をドライブした思い出がある。
今回は中国縦貫道と米子道、山陰道を使って、朝の10時前に出発して二時間半ほどでたどり着いた。
天気予報でも中国地方の日本海側は猛暑だと言っていたので、ある程度の覚悟はしていたが、夫婦交替で運転してはいたが、1000ccのVitzには車にも人にも過酷なドライブになった。
途中で休憩した蒜山高原では、高原の涼しさのかけらもなかった。225円の特産のアイスモナカ一つを分け合って食べたが、冷たくてうまかった。

ただ、山の上を走る山陰道から見える、出雲の平野の眺めはすばらしく、古代の先進地域であったことが納得させられた。
会場に着くまでに腹ごしらえをしようと思ったが、市街地を避けて行ったので店が無く、結局気がつけば会場に入るための渋滞に巻き込まれていた。
大社やイベント会場の前を通り過ぎ、500mほど離れた駐車場に車を置いた時には、午後1時を回っていた。
家内がイベント会場で食事をしようというので、会場で石見名物の鯖寿司のほか、押し寿司、牛丼弁当を買って、三人で突き合って食べた。

ちょうど、その屋外の食事場所は、イベントステージの傍にテーブルと椅子、大きなビーチパラソルが据え付けられていた。
ミスト付きの大きな扇風機が回っているが、強い日差しの前には効き目などない。
暑い思いをしながら、食事を摂っていると、隣のステージから太鼓の音が響いてきた。
見るつもりはなかったのだが、石見神楽のヤマタノオロチが始まったのである。
普通の神楽の舞だけだったら、暑いので途中で涼しい屋内に行こうと思っていたが、面白いので結局最後まで見てしまった。

見た場所はちょうど、太鼓笛などの囃子の後ろで、正面とは違い、余りよく見えなかった。
それでもヤマタノオロチと須佐之男命(すさのおのみこと)の格闘場面は迫力もあって、観客の子ども達も喜んでみているのがよく分かった。
口から硝煙や火花をはく、怪獣のような仕掛け、神楽の独特の舞でありながら、迫力のある動きは、充分現代でも楽しめるステージになっていた。
本来は涼しい夜とかに行うべきところを、午後二時からという過酷な時間帯で舞い続けた役者の人や、演奏し続けた囃子の人に敬服した。
やたら伝統芸能というと格式張った感じがして、特に体育館などで見せられる文楽などは、居眠りをするほど退屈だったが、これは全く違った。
下手な漫才やバンドをイベントに呼ぶより、石見神楽を招いた方がお客さんが喜ぶように思った。
本来、農村歌舞伎にしても神楽にしても、格式よりも楽しみを大切にしていたのだと思う。
お客さんが喜ぶなら現代風にアレンジをすれば良い。

神楽を見た後は、歴史博物館に行った。神話映像館もあったのだが、観客が多くて時間待ちが大変そうだったので、暑さしのぎに博物館に行くことにした。
博物館内も多くの観客が見学をしていた。
さすがに青銅器に関する展示は圧巻であった。
写真家による出雲の風物を芸術的に展示してくれているのも良かった。
できれば映像などもゆっくり見たかったのだが、予約待ちなので後の事を考えると待てなかった。
案内をする職員も古代風の制服をアレンジして着ていて、雰囲気作りとしても良かった。
ただ、土産のコーナーはもう少し郷土物産を並べて欲しいようにも思った。

博物館を出た後は、せっかく来たので大社にお参りに行った。
「出雲大社平成の大遷宮」ということで、平成25年5月まで御仮殿での参拝と言うことだった。
参道の巨大な松の木には数百年という歴史の重さを感じさせられたが、大国主大神の芝居じみた巨大な銅像は、その歴史に水を差すような気がした。
何よりも驚いたのは隣接する神楽殿で、昭和56年に新築されたというだけあって、近代的で、巨大なイベント会場という感じであった。
古代を標榜する出雲大社だが、明治12年出雲大社教が組織化以降に別の顔を持つようになったようだ。
出雲大社は、明治以降に伊勢神宮と比肩できるだけの権威があったことからも、たなびく巨大な日の丸と共に日本国家との関連を感じさせられた。

一番外の鳥居の前(勢留)では、ゴレンジャー風の戦士劇が行われていて、沢山の子連れ客が観劇していた。
感心するのは「神話博しまね」と、あたかも名称はアカデミックなネーミングでありながら、誰もが楽しめるイベントやコーナーを用意していることである。
家内は夏休みの自由研究の宿題のことを話題にしたが、確かにこういうところで楽しみながら宿題もこなせれば一石二鳥であろう。
靖国神社で現職大臣の参拝が問題にされる同じ日に、その神社よりも歴史のある神社では、着ぐるみを着た戦士達が、子どもを喜ばせている。
考えてみれば大国主大神の親ないし先祖とされるスサノヲが活躍した出雲こそ、ヤマタノオロチを退治した場所である。
荒くれで追放されたスサノヲが役に立った出雲の地の同じ県では、今まさしく竹島で世論が燃えている。
いっそのこと竹島で、日韓が酒盛りをしたら良いが、寝首をかくのはどちらだろう?・・
海を夾んで歴史は繰り返し、筋のないドラマを次々と産んでいるかのようである。

この神話博で愛国心に目覚めることはないと思うが、永続したかのような日本の歴史をイメージできるだろう。
憂き目にあった仏教界に対して、薩長から優遇された神道こそ歴史を担わされているのである。
私の研究している奄美では、神道はあまり広まっていないので、殆ど歴史とは無縁だが、スサノヲを追放した天照大神をテダガナシ(太陽神)と同一視することもある。
荒ぶれた神と言うことではウブツカミ(嶽の神)が同一視できそうだ。
これは比較する価値のありそうなテーマなので、またの機会に譲る。
とにかく、教科書よりも効果的に歴史をイメージできるイベントとして成功しているように思う。

日の暮れかかった帰り道は、わざと渋滞しているにも関わらず国道9号線を通った。
博物館で宍道湖が火山流による堰止め湖だと知った。それを身近で見たかった。
淡水化問題に揺れた宍道湖だが、決して清水とは言えないが、他には無い雰囲気を持っていた。
松江の手前で米子道に戻って、中国山地の山々やその谷間の集落を眺めつつ帰った。
本当はゆっくりと宿泊して回りたいところだが、その余裕は我が家にはない。
それでも帰りにスーパーで買った売れ残り割引の蕎麦を出雲蕎麦に見立てて食べながら、暑さも忘れて久しぶりに気分が晴れている自分に気がついた。
一年に一度か二度のささやかな日帰り旅行だが、往復450kmの中身の濃い旅行になった。

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