私の若かりし頃いた大学院での月に一度の金曜夜の研究会は、毎回ビールとつまみが出された。
徒弟制的なところも残っていた頃で、修士は馬の糞と言われ、一年目はそのビールとつまみを、参加料の300円集めて買い出しに行くのが仕事だった。
一人が研究発表を行い、それについて討論する形式なのだが、ビールで酔いの回って頭が明晰になり、口も軽くなり非常に厳しいご意見を頂戴することが多かった。
人格をも否定されるかと思われる議論に、酔いも覚めて顔面蒼白になる場面も多々あった。
しかも、二次会が中華料理屋と決まっていて、そこで教官も加わって議論などが続けられ、場合には下宿に押しかけ徹夜で語り明かしたりもした。
今思えば、それが非常に役に立っているように思える。
今の職場では夏休みに研修と称して、何度も研究発表や講演が行われるが、質問もあまりない。
自宅研修が管理職の指導で不可能になった状態で、学校で時間を潰しているというのが現状である。
冷房の効いた職員室は満杯で騒々しく、準備室もなく、教室は暑い中、そこで仕事をすることもできず、年休を取って自宅で本を読む方がましである。
中にはためになるのもあるが、多くは形だけの研修がいくつか設けられ、夏休みは終わる。
思い起こせば、教師成り立ての若い頃 で一番の研修は、飲み会だったように思う。
大学院でもビールの力を借りて議論をぶつけ合ったように、酒の力を借りて、本音で教育を語り合ったようにも思う。
今の職場は臨時の講師の方や、主婦の方が多くて、飲む機会があっても半分も参加できない。
昼食会は毎月のように行われるが、当たり障りのない会話で終わる。
今の職場のように交通機関の不便な所では、酒の力を借りずに本音で議論し会える姿勢を本来は身につけなくてはいけないのだろうが、私たちの世代は難しい。
若い人達と私たちの世代との関係も、そういうことで稀薄になっているようにも感じてしまう。
新聞のCMのように、「発言のない人は会議に参加しないのと同じと」みなされる雰囲気が、いずれ今の職場にももたらされて、活気のある会議や研修会になる日がくるかもしれない。
ただ、その頃酒で育ったおじさん達は、退職しているだろうね・・・
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