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2012年8月29日水曜日

雨を見たかい

私たちの世代ではHave you ever seen the rain I want to knowというCCRの曲を曲全体の内容とは関係なく口ずさみたくなる。今日の夕方のにわか雨だった。
ちょうど、下駄を履いて犬の散歩をしていた黄昏時で、南の方の山がかすんできたなと思ったら、降り出してきた。
肌に心地よい雨が自然のミスト冷風機のように注いでくれた。下駄の乾いた音は、柔らかいしめった音に変わり、喜んで出てきたおばさんと挨拶した。

「やっとやね」「ほんまやね」

雨がこれほど待たれたことはないだろう。しかし、それはつかの間のことだった。

先日の日曜日の午前は赤穂の畑に行き、生い茂った草を草刈り機で刈ったり、水をやったり、薩摩芋を初収穫した。
ひょっとして一昨年の二の舞になって、芋ができていないのではないかと心配したが、早く植えた方の紅東のハイブリッドという新品種は、そこそこ大きいのができていた。
その後植えた鳴門金時は葉っぱのしげりは良いのだけれど、このところ雨が降っていなかったので、どうなるか心配ではある。
井戸の水をポンプでくみ上げて芋にかけてやったいたら、井戸の底が見えてきて、以前息子が誤って沈めた水汲み用の鍋が現れた。
その中には大きな鮒が入っていた。 そして、泥の詰まった鍋を引き上げた。

先日来、アメリカでの旱魃が報道されているが、近所の人によると、「きぬひかり」はやはり調子が悪いそうだ。
「ひのひかり」は暑さにも強いそうだが、美味しいとされるキヌヒカリはできが悪いかも知れない。
もう少ししたら池の水を落とすと言うが、池の水は落としたから空になってしまうと言うことではないようで、水の勢いはもう少し出てくるという。
おそらく、米の実りとの関係で落とすタイミングが難しいのだろう。
畑のある人は夕方は水やりで忙しい。今日のように雨が降りそうでも、量が期待できないと水をやる。

CCRは雨を人生にたとえたのだろうが、今の世界は雨が命そのものになってきた。
ある所ではとてつもない雨で、ある所では旱魃で生活基盤が損なわれる。
欲望の果ての結末と言ってしまえばそれまでなのだが、病気で入院しないと健康の大切さが分からないように、きっとこの異常気象で気付くだろう。
今日のニュースは、九州で熊が絶滅したり、カワウソが絶滅と断定されたことが報道された。
その一方で、震災での被害よる仮設校舎で室温が38℃にもなり、エアコンが欲しいという報道もあった。
この日照りで我田引水という言葉をの意味を身をもって感じたが、地球における我田引水で弱者が苦しんでいくことを感じつつ、無力感に苛まれる。
それでも、止まない雨が無いように、日照りはいつか雨になると信じたい。
Have you ever seen the rain I want to know
雨とは苦難ではなくて、まさしく希望である。





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