ページビューの合計

2018年3月6日火曜日

祖母と「わかば」

もともと、私の父親はここいらで言う「シンヤ」で分家筋であった。
だから、父方の祖父母とは一緒に住んでいなかった。
母方の祖母はもともとは、相生で伯母家族と住んでいたのだが、赤穂の同じ敷地内に一緒に家を新築して住み始めた。
だから、母方の祖母が自分が中学生くらい頃から、隣に住んでいたことになる。
隣と言っても垣根も無く、同じ敷地内に二件家が建っているという感じである。
当然行き来は頻繁で、祖母はしょっちゅう我が家に来るし、自分たちもしょっちゅう隣を訪れた。

母方の祖母は、隣に住む前から、ことあるごとに我が家に泊まり込みでやってきてくれていた。
というのも、祖父は戦死していなかったので自由に動けたことと、私の家は兄弟が4人もいて、母親に助けが必要だった。
私の家は、中学校までは尾崎の磯釜というところにあって、古く小さな家を父親が安く買い求めたものだった。
人が寝られる間は二つしか無く、便所や風呂は外にあり、炊事場も土間だった。
玄関も北向きで、東に床の間があり、西側は隣の家とつながっていた。
そういう粗末な家に祖母や、伯母家族はよく泊まりに来てくれていた。
そして、自分たちの家族も当時相生の会社関連の長屋住宅に住む祖母の家によく泊まりに行った。

先日、「わかば」というタバコが値上がりすると言うのを聞いて祖母を思い出した。
小学生の頃、よく頼まれて買いに行ったからだ。
当時は確か50円だったと思う。
タバコに関しては、後に伯母から結核予防のために祖母は吸い出したと聞いた。
伯母の夫、つまり祖母にとっての娘婿は結核で亡くなった。
伯母と一緒に一生懸命に看病していたのだと思う。
また、看護婦ではなかったが、普通は嫌がる結核患者さんの世話もしていたという。
今は肺がんを心配するタバコだが、当時は結核予防として信じられていたようだ。
それがきっかけとして、祖母は当時は吸っていたが、隣に住みだした頃はもう吸っていなかった。

その祖母は私ら兄弟に「偉くならんでええ(良い)」と事あるごとに言っていた。
受験勉強に励んでいる自分たちには、老人の戯言のように思い受け流していた。
しかし、この歳になると、その意味がよく分かる。
そして、同じ言葉を言うようになっている。
細やかながら、仲良く肩寄せ合って暮らせることがいかに難しいか。
祖母がそばに暮らしていた年月があったからこそ、肩寄せ合う価値が少しでも分かるように思える。
安い「わかば」を結核予防に吸っていた時代は、誰もがそれを知っていたのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿