私は青少年教育センター閑谷学校を辞めた後、しばらくしてスポーツセンターでアルバイトを始めた。
そこでの主な仕事は、温水室内プールでの水泳指導である。
水泳は、高校や特別支援学校でクラブ指導などで関わってきたので、その経験を活かそうと思った。
しかし、高校などで選手を教えるのと、スイミングで生徒を教えるのでは大違いで悪戦苦闘をしている。
ベテランのコーチの指導方法や話術を学ぶことが今の大切な仕事になっている。
これは学校の教師が教科を教えるのと同じであり、自分が理解しているのと生徒に教えるのは違うのと同じである。
水泳部の顧問の時は、全く泳げない生徒はいなかったし、初心者は部員が教える手助けをしてくれた。
しかも、幼稚園児から小学校6年生まで教えることになるのだから、保育士から小学校教師を兼ねるのと同じである。
そして、成人や高齢者とも関わることになるので、学校教師の枠を超えてしまう。
その上、スポーツセンターでは水泳の指導だけでなく、施設管理や事務経理をしなくてはいけない。
学校で言えば教師と事務員と、校務員を兼ねるのと同じになる。
これは社会教育施設の閑谷学校以上の仕事である。
なぜなら、閑谷学校では経理については、総務としての人員が専門に確保されていた。
自分としてありがたかったのは、収入は大きく減ったが、自由に使える時間が増えたことである。
出勤時間も遅くなり、毎朝クロの散歩もできるし、曜日によっては研究時間持てるようになった。
そして、何よりも汗かきの私には、プールの中の仕事がありがたい。
外の温度が高くて38℃近くあっても、水温は31℃くらいに維持されている。
私は水泳の経験もあったし、学校の冷たいプールで鍛えられているので、水の中には慣れている。
ただ、一日中水に漬かっていると、それ以上に泳ぐ練習をしたいという気持ちはあまりなくなった。
そんな中、幼稚園児を教えているクラスの終わりに、保護者のお母さんから声をかけられた。
高校勤務の時の教え子だった。
つまり、生徒の中に教え子の娘さんが混じっていたのである。
声をかけられて、元教え子だと分かったのだが、実は殆ど教え子には声をかけられないと、分からないことが多い。
見覚えのある顔でも、様子が変わっているので自信が無いのである。
だから、自分の方から声はかけられない。
しかも、顔は覚えているのだが、担任したりクラブで関わった生徒、よほど印象があった生徒以外は、名前を憶えていない。
今回も、担任した学年の生徒だったが、授業だけで関わった教え子だったし、結婚して苗字も変わっていたので本人から聞かねばならなかった。
教え子は私の日本史の授業でのことも良く憶えてくれていたので嬉しかった。
私にはまだ孫はいないのだが、教え子の子供は孫のような存在である。
プールが始まる前や終わりの自由時間は、その孫のような園児とお話をしたり、遊んだりする。
どちらかというと、学校ではいかつい怖そうな教師の顔も見せていたのだが、優しいお兄(爺)さんになっている。
特別支援学校でも、生徒と遊ぶのが仕事の一つになっていたが、ここでもそれが大切な仕事である。
この業界の色々な問題も知っているし、今の現場でもそれが見えてきているのだが、体験したかった仕事なので頑張ってやりたいと思っている。
どこまで体力が続くか分からないけれど・・・・
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