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2018年7月4日水曜日

世代を超えるサッカー

私が目を覚ましたのは、W・CUPのベルギー戦の前半終了間際だった。
幸いなことに両者とも点数が入っておらず、これからという時だった。
そして、日本が得点した時には思わず拍手を、一緒に見ていた息子としてしまった。
二階で眠っていた家内が、居間に降りてきて「目が覚めてしまった」と不満を漏らし、トイレに行ってからまた二階に上がった。
だから、二点目は静かに手を叩いた。
そういえば、以前は隣の家からも拍手と歓声が聞こえたが、今年は静かだった。

職場でサッカーの話題ができたのは、若い20歳代の男性2名だけだった。
他はあまり関心が無いようで、勝ち負けだけを話題にしていた。
普段は仕事以外に話をあまりしない若い世代とも、熱のこもったサッカー論議ができた。
サッカーは老若男女を問わず、結構共通の話題にできる。
教壇に立っていた時も、野球は一部の者だけに限られ、サッカーの方が多くの生徒と話ができた。

私は小学生の頃は、サッカーとラクビーを合わせた「ボール蹴り」を毎日していた。
これは、ノーバウンドでボールを受けたら、持って走ってゴールして良かった。
私は体格が良かったので、「特攻隊」と称して相手を跳ね飛ばしながらゴールしたので、恐れられていた。
当時はサッカーを教える人もあまりいなくて、基本はまるきりできていなかった。
それでも中学校へ進んでからも、サッカー部の選手に負けない自信はあった。
高等部で顧問からも入部を誘われたが、ロックバンドをやっているからと断った。
当時淳心学院はそこそこ強く、1年上のキャプテンも鬼のような人物だった。
試合で顔を蹴られたと言うことで、前歯がなかった。
ただ、彼とは後にバンドを組んだ。
因みに、淳心は西播地区で兵庫県代表になった最後の学校だという。

私は剣道や水泳など個人競技のスポーツに親しんだが、今思えばサッカーのようなチームスポーツをしておけば良かったと思う。
卒業してからも、OB会などで親しくしているのをみるとうらやましく思ったりもする。
何より、自分勝手な性格を少しでも変えられただろうと思う。
私が仲間として上手くやっていけるのは二人~五人くらいの小集団で、まさしくバンド単位である。
だから、普通校の学級担任として上手くやれたとは思っていない。
人数の少ない特別支援学校や県大附属高校が、肌にあっていたように思う。
サッカーをしていたらもう少し担任も上手くできたかなと思うが、西口鬼キャプテン(故人)とはうまくやれなかったと思う。
彼はバンドではドラムを叩いてくれてたから、仲良くやれた。
サッカー部だったら、演奏で破られたバスドラムのごとく蹴りをくらっていただろう・・・・
(因みに、以前日本チームのチームドクターをしていた柳田君は同級生で、彼もバンドのドラムを叩いてくれたことがある。サッカー選手はドラムが上手い)





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