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2018年11月3日土曜日

剣道とは腐れ縁

私は小学生の頃少年剣道団に入っていた。
小学生の頃は、何でもやりたくてカブスカウトにも入っていたし、ソロバンや習字も習っていた。
習字は直ぐにやめてしまったが、他はそれなりに続けていた。
ただ、剣道は当時指導者も殆どついておらず、自分らで勝手にしていた。
きちっと指導者がついたころになると、だんだんと重荷になってきた。
練習はあまりしない割に、試合はそこそこ強かったので、続けていただけである。
カブスカウトからボーイスカウトになり、忙しく日々を送っていたが、担任の先生の強い勧めで中学受験をすることになった。
剣道の練習をしていると、「そんなことをしている場合ではない」と、担任の先生から叱られた。
それほど、好きでもなかったので、剣道は止めたし、ボーイスカウトも活動する時間が無くなった。

中学に入ってから、しばらくは部活動はしていなかったが、思い立って剣道部に入った。
しかし、中高一貫校の部活は、高校生とも練習せねばならず、結構大変だった。
何とか夏休みの校内合宿は乗り切ったが、嫌になって止めてしまった。
それからしばらくして、ロックバンドの練習にのめり込んでいった。
大学に入ってからは、最初軽音楽部でロックバンドの練習に打ち込んだが、趣向があわずやめてしまった。
そこで、思い立って剣道部に入ったのだが、やはりまともに練習してこなかった者にとっては非常に負担となった。
ここでも夏休みの合宿は乗り切って、顧問からも筋が良いので続けるように言われたが、秋になるとやはりやめてしまった。
その後は、文化人類学研究会に入って、それがきっかけとなり研究を続けることになった。

教師になって、少しは指導できる運動部は剣道しかなかったので、赤穂で成人でも練習できる教室に通った。
そこでは全国で二位になった赤穂高校の女子部員も練習していたが、男性は小学生か成人だったので練習は厳しいものではなかった。
チームとして試合にも出て、グローリーとあたり、私は簡単に負けてしまった。
勝てなくても、負けない方法を知らない自分を実感させられた。
練習仲間で赤穂御崎の野外活動センターに泊まりに行ったりして楽しかった。
職場が変わって忙しくなってからは、通う余裕がなくなってしまった。
龍野実業ではしばらく剣道部の顧問をして、生徒と練習したがちゃんと指導できる顧問ではなかった。
剣道をきちっと練習してきた人と交代してもらって、私は音楽系統の副顧問などをした。
上郡高校でも当初は剣道部の副顧問をしていたが、全国出場を目指す部だったので、体育科の専門の顧問もいて出番はなかった。
若い顧問に代わって指導方針も違ったので、剣道部から水泳部の顧問に代わった。

それ以来、私は主に水泳部の顧問をして剣道部との縁はしばらくなくなった。
姫路特別支援学校では、授業の中で剣道を少ししたが、本格的ではなかった。
今回定時制で剣道部の副顧問をすることになり、他に教員の中で経験者がいないので一人の生徒の練習に付き合うことになった。
いい加減に保管していた防具は、ボロボロになっていて、小手を通販で買った。
胴紐の留め具は百円ショップのキーホルダーで代用したし、胴紐も肩の方は一本はつないでつかっている。
前回の練習では垂の帯紐までちぎれてしまった。
週二回の20分ほどの練習のために、多額の出費はきついので、これも修理することにしている。
剣道の練習そのものは、思った以上に身体は動いてくれた。
そして、竹刀も息子が高校時代に使っているが、高校生用を使っているので扱いやすい。

全日制の本格的な練習と違い、無理のない練習なのでやって行けそうにも思う。
生徒も昼間働いているので無理はあまりできないようだ。
昇段試験も受けにいったことも無く、いい加減な剣道しかしてこなかったので、生徒にはただの練習相手でしかない。
ただ、剣道をしていて楽しいと思ったことは無いけれど、今回は面白く感じる剣道をしてみたいと思っている。


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